SEOと人生の法則
このブログ(なのか?)に対するリファラを見ると不思議な気持ちになる。
なにしろ、リファラのキーワードトップが
「オリバー君」と「ウサギとカメ」
となっているのである。この言葉を検索してここに来た人がダントツに多いのだ。
この二つは休止期間中1年間を通じてトップを守りきっているし、最近の更新でもやはりこの二つからが一番多いのである。(ちなみに、それぞれのキーワードを含むのはid:kido:20040602とid:kido:20040424)
もう見るからにほとんどの人が興味がなさそうなこのキーワードを通じてこのブログにたどり着くひとがこのブログの中では一番多いという事実。
しかも、わたしにとってはさして特別でもないページにヒットしてくるという事実。
そこから逆に発想していくと、例えば「アイドル」や「東京」など、常にグーやインフォシークのキーワードランキングの上位を占めるキーワードを散りばめたブログは大盛況間違いなし、なのであろうか?(ちなみに今日のタイトルもわざと人気キーワードSEOを織り込んでみたがその結果アクセスは急増するだろうか?)
もちろん、そう簡単ではない。
そこには、同じキーワードを散りばめたあまたのブログとの壮絶な競争が待っていて、わたしのブログはきっと100Pくらい行かないと痕跡も見当たらないだろう。人様の目に触れようと思うなら、それこそSEOを駆使して努力に努力を重ねなければならないし、そうしたからといって必ずしも報われるというものでもない。
つまり、そういう花形キーワードにこだわり続けるより「オリバー君」と「ウサギとカメ」で生き続けたほうがずっとラク、かつ生産的なのである。
ただひとつの、そして致命的な問題は、「オリバー君」や「ウサギとカメ」をわたし自身が選択したわけではない、という事実のほうである。
人にはさまざまな良さや才能がある。そして、人は自分の中のある部分を通じて世界とつながりたいと思う。それは容姿だったり、資産だったり、才能だったり、知性だったり、勤勉さだったり、やさしさだったり、勢いだったり、人それぞれである。
しかし、好むと好まざるとに関わらず、そのような希望や若干の努力が報われるよりもずっと高い確率で、それとぜんぜん関係のないことで世界とつながっていく。
人から注目を集める人は、人より秀でていなければならない、という簡単な話である。
もし、そういう資格がないのなら、注目から簡単に排除されてしまう。
そして、まったく予期していない関わり方で世界とつながってしまう。
そういう厳然とした事実を、リファラは教えてくれているのである。
ところで、ではSEOではダメなものはダメで終っていいものかどうか、である。
SEOは来客という目的があり、そして、SEOを請け負う仕事もあるのに、ダメなものはダメで済ますことができるだろうか?
もっと重要なことに、人生もダメものはダメで済ますことはできるだろうか?
実は、方法がある。例えば「アイドル」と間口を広げると実に多くのページと混ざってしまうわけだが、ほんとうの自分の得意分野はなにかということだ。これを突き詰めることがSEOの基本なのだが、それはそのまんま、企業戦略にも人生にも当てはまる。
わたしの場合はアイドル(と言ってさしつかえがないわけではないが)で唯一取り上げているのは菊川玲である。彼女の卒論についての記述(id:kido:20040213)は実は相当なリファラを稼いでる。
このように、どんな大場所にもコアな部分は必ずある。
しかも、コアな部分こそが自分がもっとも得意とするものであるならば、そこでの勝負はたやすいはずである。
コアの部分は必ず存在する。少なくとも、自分というもっとも観客の少ないコアならばいたるところにあるからだ。
そこでいかに自分を極め、それをもっていかに人を引き入れるか、ということなのだ。
戦略的にもっとも成功する生き方は、趨勢の中心で自分の道を突き進め、ということなのである。趨勢を外れたり自分の道を外れたりしたとき、はじめて、ダメなものはダメという結論になるのだ。
ところで、寒々しいリファラはともかく、軽く一年間放置したというのにさっそくコメントに書き込んでいただける常連のみなさんは、まさにわたしの望むありかたでここを評価してくださっているわけである。みなさんのおかげで、わたしはこのブログの世界と自分が望む形でつながることができている。
改めて、感謝したい気持ちになったりするのである。