厳格なルールが大きな破綻を招く仕組み

例の耐震強度偽装問題の報道やwebでの扱い方に非常な違和感を持ったのはわたしだけだろうか?


つまり、「黒幕」の存在についてだ。


事件発覚当初、これは「設計士」「建設会社」「発注主」「検査機関」「コンサルタント」すべてをあやつる誰かの起こした巨悪事件のような雰囲気が漂っていた。


そして時系列とともに、その主人公はコロコロと交代していった。


未だに、「黒幕」というキャプションが販売部数に貢献してしまうのが、その交替劇の原因であって、実はこの事件に黒幕など存在しないのではないか、というのがわたしの今の感想である。


しかし、「設計士」「建設会社」「発注主」「検査機関」「コンサルタント」今回の事件のどの登場人物も、実は被害総額に比べて実にわずかなお金しか儲けていない。
にも関わらずここまで重大な犯罪を繰り返し起こすのには、きっとなにか「ウラ」があるに違いない、というのが「黒幕説」の根拠だったりする。
彼等は、単なるコマに過ぎないという見方である。


逆に発想すると、例えば建築会社の東京支店長など、2百万程度のバックマージンしか手に入れていないのに、あそこまで設計士を恫喝して鉄筋を減らさせている。なぜ、そこまでして重大な犯罪をたかが2百万のために行わなければならなかったのか。彼は社長に大きなプレッシャーを与えられていたわけでもないのに。
国会で証人として喚問されるほどの犯罪を、なぜ?


もし、支配階級が法律を捻じ曲げて運用するような国なら、巨悪が存在することもあるだろう。
あるいは、今回の事件が「ドンブリ勘定あたりまえ」な国なら、コストダウンのために鉄筋の実費などというたかが知れた削減になどだれも目を向けなかったかも知れない。


しかし、現実はこのように主役不在で大きな事件が発生してしまう。
日本のように、世界でも比較的うまく機能している国において、である。


それは、厳格な社会システムに安住しているわれわれ全員が関わりになってしまう危険がある。
厳格な予算システムがぎりぎりの数字を出すと、ちょっとした不当利益のために気の遠くなるほど巨額のお金が動いたりするのである。
厳格な規制が行われていると、ちょっとした違法が無防備に波及していってしまうのである。
厳格な分業システムの中では、誰もが他人の不正には無関心になり、自分の従うべきルールという狭い範囲でしかものを考えず、また自分の不正がどこまで波及していくかという思考も停止してしまう。


まるで政党に流れるお金の数万倍のお金が、そのために歪曲した使われ方をされてしまうのと、その図式は同じである。


ちょっと心得違いをしたものが手にする「悪銭」は、厳格なシステムの中ではどんどん小額になっていく、そしてその結果、「わずかな不当利益」のために途方もない不正の累積が行われてしまうのである。