死後の世界を切り裂くオッカムの剃刀

実証不能なことを議論するのはやめよーね。
っていう理論物理だか数学だかいわゆる科学のテーマの原則をなにをどー例えてこういうのか、オッカムって誰だかも知らないが、そういう議論は「オッカムの剃刀」で切り捨てようと言うのである。


らしいのである。


たとえば、「宇宙の外はどーなってる」ってのは、宇宙の中から絶対見ることができない(できればそこは宇宙の中である)、そこにすばらしい「定理の別世界」があってなにかこの宇宙では違う美しい法則が成り立っていたとしても、その法則が適用できるのは自分たちが存在しない「宇宙の外」なので「だからナニ」なのである。


たとえば、死後の世界を否定すると。
こっちがさんざん疲れたころを見計らって
「・・・・でも、あるかも知れないじゃん」
てーことを必ず言われて、落とした10円拾おうとしてトイレでしゃがんだ拍子にケイタイを便器に落としたような脱力感を味わわされる。


「死後の世界、あるかも知れないじゃん」は
「10年後にはオレが世界の征服者として君臨するかも知れないじゃん」
よりも、もっと人に証明してみせることが難しいのである。
いや、誰でも一度は死ぬ。
ただ、それを知るためにわざわざ死ぬ価値があるとしたら、そもそも生きている価値がないのだ。(ここだいじ)


なんてことを考えて自分で納得しようとすると
「そうか?おれは別にすぐ死んでもいいぜ」
なんてことを言われて、本気だったらやだな、とつい深追いをやめてしまうおれなのだった。


そしてある真理に目覚めたのだな。
死後の世界を否定するってこと自体が、死後の世界を肯定するのと同じくらい
「だからナニ」
なことだったのだ。