◎愛はカオスの縁を飛ぶ

お互いを深く愛し合った二人は「永遠」と「安定」を願う。
しかし、はじめから「永遠」に「安定」した人間関係からは、決して「愛」は生まれない。


そんな愛を語る宇宙の法則について。


ボイドって贋鳥(バーチャルバード)のプログラムがある。
そいつは鳥の群れの行動をシミュレートするのだが、それは決して群れとしての行動をプログラムしたものではないところがおもしろい。


それぞれのボイドは
1.仲間と飛ぶ方向や速度を(なるべく)合わせろ
2.仲間や障害物と(なるべく)衝突するな
3.仲間から(なるべく)離れるな
の単純な3つの命令に従って個々勝手に行動しているだけである。


(なんと、これは人間関係を円満に続けるためのルールと同じである。
そのことについての深遠は後で語る。)


ともかく、この単純なルールがボイドを群れとして見事な制御で障害物をよけさせたりする。
真正面に障害物があると、ボイドはきれいに二つに分かれて飛び、再び合流する。
やや右に障害物があれば左によける。群れとして非常に合理的な行動をとる。
どこにもそんな命令プログラムがないにも関わらず、どんな場面に遭遇しても(ときどきは失敗さえしながら)なんらかの答えを自分で出して、複雑な集団制御ができてしまうのである。


実際に群れをなして飛んでいるムクドリを見ると、まるで一つの意識を持っているかのように美しく制御された群れ行動を行うことができる。
鰯の群れも同じである。


生物界最高の知能を誇る人間の集団にそれをやれといったらどうなるだろう。
彼ら個々の知能をいくら使っても、群れとしての制御は無理である。
だからこそ、明石市歩道橋圧死事故のようなことが起こりうるのだ。


しかし、個々のムクドリや鰯には、当然ながら人間以上の知能はない。いや、彼らの知能の総和をもってしても、鳥一羽一羽を飛ばす制御と群れ全体を統率する制御を同時に成り立たせることは不可能だろう。(人間にも無理だ)
それなのに、そういうことは現実に群れの世界で起きている。


プログラムのボイドではたった3つの簡単なルールの組み合わせが、複雑な問題を解いてしまう。
単純なルールの組み合わせが、それぞれのルールの総和以上に複雑な問題を解く新たなルールを自発的に作ってしまう。
これを「創発」という。
しかも、そのルールは状況の変化によって自在に変化する。
これを「自己組織化」という。
だからボイドは群れとしての制御はプログラムされていなくても、プログラミング段階で予期しない場所に障害物があっても、それを美しい群れのまま、よけて飛ぶことができる。ボイドがそうやって飛んでいるときプログラマーにさえ、その行動を決定した意図は理解できない。


単純な原子が複雑な分子の化学作用を生み出す。
単なる重量のかたよりでしかない、惑星が宇宙構造を作り、四季を制御する。
個人の物欲が市場という巨大なメカニズムを生み出す。


創発と自己組織化が「いたるところに存在する」ことがこの宇宙を存在たらしめていると言っても過言ではない。あるいは、これこそが宇宙の本質のようにも見える。


まだ「創発」や「自己組織化」を生み出す基本法則そのものは発見されていないが、これがなければ宇宙は、熱力学の単純な「均衡」の法則によって複雑なものが何一つ生成されることなく終わるはずである。しかし、「形あるものは必ず壊れる」という熱力学の法則にも関わらず、宇宙は太陽や太陽系や、海や山やと複雑なものを作りつづけている。


プログラムのボイドの場合、3つのルールには強弱がつけられる。
どのルールを弱くしてもボイドはばらばらになってしまい群れとして行動できなくなる。そして、逆に強くすると、団子のように固まったり、障害物と衝突したまま固定してしまってやはり群れとして行動できなくなる。


ルールの強さのどこらへんに「創発」と「自己組織化」が存在するのだろう。


ボイドが、でたらめに飛んでいるとき、これをカオスという。


群れがただの団子になったまま変化しない「安定」の世界から、さぁここから先が「カオス(混沌・でたらめ)」の世界の入り口だぞという微妙な境界線上で「創発」と「自己組織化」は突如現れ、ボイドは群れとして行動しはじめる。(ここだいじ)


そう、まさに「ボイドはカオスの縁(ふち)を飛ぶ」のだ。


そして、それが宇宙の「複雑さ」を説明する法則だとしたら、われわれも、カオスの縁でダンスを踊っていることになる。


だからこそ、未来は予測ができず。
宇宙にも社会にも人の心にも単純な構造から次々と複雑なものが生まれてくるのだ。
いくら安定した人間関係を求めていても、次から次へと人間関係は変化し、同じルールが2度と通用しないのだ。


生殖を意図した「性欲」から「愛」が生まれ、「愛」から「憎」さえ生まれるのは人間が完全に安定した生殖関係(近くにいる相手とやりつづける)から逃げ出し、カオス(乱交生殖)の入り口近くで「創発」し「自己組織化」しているからだ。


生まれたときから生殖相手が決まっていて、一生変わらないとしたらどうだろう。
そこに「愛」は生まれるだろうか?
生まれたとしてそれがどういう意味を持つだろうか?


めぐり合いと別れというカオスを「ちょびっと含んでいる」から、愛は「創発」し無限のパターンに「自己組織化」するのだ。


どんどん複雑化する世界では、宗教や哲学が「ルールが複雑で断定的であればあるほど」環境が変化する複雑さを予測できず、したがって適応もできない。
厳格で断定的な宗教(カルト)ほど破綻するのはこのためだ。
よい宗教のルールは常に単純である。


1.仲間と飛ぶ方向や速度を(なるべく)合わせろ
2.仲間や障害物と(なるべく)衝突するな
3.仲間から(なるべく)離れるな


単純なルールだけで複雑な状況に対処するには(なるべく)の部分を「弱め」にチューニングしてカオスの縁ぎりぎりに設定するのが人生のコツなのだ。
あとは「創発」と「自己組織化」にまかせよう。


「安定」をもとめて「強めに」チューニングしたらどうなるだろう。
1.仲間と飛ぶ方向や速度を(ぜったい)合わせろ
2.仲間や障害物と(ぜったい)衝突するな
3.仲間から(ぜったい)離れるな
「安定をもとめるほどわがまま」な人には無理であることがすぐわかる。(笑)
というより、無理にも続ければやがて自分を(あるいは相手を)殺してしまうだろう。


弱めにチューニングしたカオスの縁に「創発」する「自己組織化」が(場合によって)愛を長持ちさせ、(場合によって)昇華させる。
安定させれば「創発」も「自己組織化」もなくなる。
それは死んでいるのと同じである。


愛のボイドが飛んでいるカオスの縁には、人生の宝物が落ちている。