顔とカラダ

ある夫婦が、こんな会話をした。

『あーあ、若い娘にはかなわないなぁ』

『どうして?』

『どうしてって、あなただって本当は若い娘の方がいいくせに』

『そう思うか?』

『あら?違うの?』

『あのな、家事も投げやりだし、気分屋ですぐ奴当たりするし、一度あった嫌な事は絶対忘れず10年以上繰り返し思い出しては怒るような女となんで一緒に暮らしてると思うんだ?』

『さあ、知らない』

『顔とカラダ』



ある若いカップルが、こんな会話をした。

『ねぇ、今日どこ行く?』

『は?どっか行きたいの?』

『別にぃ。行きたいとこあるわけじゃないけどぉ』

『じゃ、いいじゃん、お前の部屋で』

『でもさ、会えばエッチじゃん。あんたさぁ、エッチしかないんじゃないの?』

『エッチ嫌なの?』

『エッチ嫌じゃないけどさぁ、ほんとにそれだけじゃん?』

『そんなことねーよ』

『じゃあさ、わたしのこと愛してる?』

『愛してるYO!』

『ほんとぉ?ほんとに?』

『うん!おまえの優しいところ大好きだよ』

『うれしいっ』

『だから、部屋で優しくしてよ、ね?』

『もう〜、えっちなんだから』


女性は容姿だけを好かれるのが嫌いだ。

しかし、男がそれを判断の基準にしていることをよく知っているので、容姿には男の数倍の気をつかう。

女性の目的は、精子を得ることではないからだ。

妊娠して育児する期間、人生の長期に渡って男に貢がせる必要があるからだ。

男は、ヒマさえあれば精子をばら撒こうと努力するが、女性にとってそれをあちこちでやられることは自分の利害に反する。養育する家族があちこちにあっては困るのだ。

男を自分ひとりにとどめて置かなければならないので、単に顔やカラダだけで性欲を刺激するだけでは安心できない。

『自分を守る』という長期的心理的な絆を求めているのだ。

男の顔とカラダ嗜好に反発する女性は特にその傾向が強い。

愛してるとは、自分を守るということだ。

女性はそれを求める。

しかし、一方で現代は女性に自立のチャンスを与えている。

自立心の強い女性、経済的に余裕のある女性は、顔とカラダを賛美されることに余裕があり、それを素直に受け入れることができる。

女性の自立心と、顔とカラダを賛美する男性への賛否はかなりの部分で一致する。

醜い忠実な男と浮気な美男子。

この選択はいつでも女性を悩ませる。

自分の利害の延長には、他の女が手を出しそうにない醜い男が存在し、自分を磨く美意識の延長には美男子が存在するからだ。

したがって、どちらも正解で、どちらも不正解ということになる。

依存心の強い女性は醜くても忠実な男を選択し、自立心の強い女性は美男子やより使えるチ○チ○を選択する傾向にある。

依存心が強く自活力のない女性が美男子を嗜好した場合は、この矛盾のために不幸に陥る場合が多い。

逆に、自立心が強い女性が醜い男を愛すると矛盾がなくなるので長く安定して続く。










女性が飽きない限り。








したがって、忠実な美男子はそもそも矛盾が存在しないので、自立していようがいまいが、女性をシアワセにできる。

また、醜く浮気な男は、醜さをカバーするために社会的地位や名声に固執する傾向が強い。





(余談だが、最近はモラルが低下したせいでガマン強い美女が少ない。たまにいやしないかと河原の石の裏などひっぺがして探してみるが、ほぼ絶滅したと思われる)