◎ゲーム理論生活

最近ゲーム理論という言葉が誤解されている。


というより、そんな言葉ほとんど流通してないが。


しかし、聞いたとたんに誤解を生む言葉ではある。


もちろん、コンピュータゲームの開発法や、ボードゲームのルールを考えるものではない。(ゲーム理論の一部には含まれる)


ゲーム理論のゲームとは、「利得を得るために相互に干渉しあうこと」を指す。


したがって、コンピュータゲームもボードゲームも含む、人間の対人行動や社会的行動のほとんどすべてはゲームである。


ゲーム理論は主に軍事や経済で応用されているが、その理論の根幹は数学である。


例えば「ランチェスターの法則」というものがある。


これは武器の性能と兵士の数で勝敗を予測する算数程度の理論であるが、近年では武器を営業ツールに見立てた経営論としてマンガ本にまでなっている。


ゲーム理論の提唱者はかのジョン・フォン・ノイマンでコンピュータの始祖であり、原子力爆弾が理論的に実現可能であることを証明したマンハッタン計画の中心人物でもある。


ゲーム理論を理論として記述可能にした彼のミニマックス定理とはこうである。
二人のゲームでは、片側は相手の最大利得が最小になるようにし、一方、相手側は自分の最小利得が最大になるようにする。
当事者がこのように行動すると、最大利得の最小は、最小利得の最大に等しい。


そして、ゲーム理論でのスーパースターはなんといてもジョン・ナッシュである。
彼はミニマックス定理をさらに広げて、すべてのゲームは一定の均衡に安定するということを発見した。これがいわゆる「ナッシュ均衡」であり、映画「ビューティフルマインド」は狂気と天才を行き来した彼の物語(多少美化しすぎのきらいはあるがお奨め)である。


ナッシュ均衡とはつまりこういうことである。
「すべてのプレーヤーが最大の利得を得ようと、最善の努力をするならば、必ず均衡点が存在する」


例えば恋人同士の場合、男が「今日のデートは野球が見たい」といい、女が「夜景のきれいなスカイラウンジで夕食を取りたい」といったとしよう。


ゲームの結果が0対最大になる場合をゼロサムゲームという。
ミニマックス定理では、この問題もゼロサムゲームとして処理してしまう。
どちらかがゴリ押しすれば、どちらかは台無しの夜を過ごすはめになる。


ナッシュ均衡では、この場合も自分の最大の譲歩と最大の利得は半々でつりあうと考える。


それぞれ別れて、男は野球を見て、女はスカイラウンジでディナーを食べる羽目になった場合を考えると、それは最悪な結果だということは互いに理解できる。つまり、別々に行動するくらいなら譲歩した方がいいということはわかっている。


そこで、コインを投げてどちらかに決める。


どっちの答えが出るかに関わらず(ここだいじ)、コインを投げた時点で確率は五分五分なので、お互いがナッシュ均衡に到達して互いに最大利得を得たことになる。


コインが決めたことなので、エゴは衝突せず、納得して相手に付き合うことができるのだ。


例えば、会社経営の場合、いままでマーケットはただひたすら奪取するべきものという考え方が主流であった。しかし、現実にはそれは無理だし、無理なことに努力を続けるのは必ずしもよい経営とは言えない。なぜなら、多くの場合、会社ごとに財力や営業マンの資質、商品の品質やサービスに差異があって、ビジネスチャンスがひとつに集約することなどありえないからである。
もし、自社の得意なスタイルを超えて欲を出せば不利な戦場へ戦線を拡大するのと同じことになってしまい、やらない場合よりかえって利得を失う結果になる。


ナッシュ均衡の考え方を利用すれば、例え相手が最善の努力を怠ったとしても、相手の最善の努力を予想して均衡点を定め、その均衡点に最短で近づくことがもっとも重要になる。


人間関係で言うなら、ある女性に好意をもつ男が3人居たとしよう。
ゼロサムゲームの考え方、ミニマックスの考え方で言えばそれぞれの男は自分以外の男とつきあうなと女性に言う。ライバルに対して最大の利得を得ようとするからだ。
女性はその誰とも結婚するつもりがなければ、最悪の場合全員に「ごめんなさい」と言うしかない。
ナッシュ均衡で考えると、ごめんなさいと言われるくらいなら「相談相手になってくれるお兄さんのような人」や「時々夕食をご馳走してくれる楽しい友達」の存在を許して「ただのアッシー君」でいた方がよいと考える。


重要なのはこの時点で「ただのアッシー君」になりきることである。
決して均衡点を犯さない。
そしてその均衡点を維持する努力だけをして、それ以上の無駄な努力はしない。
無駄な欲望に駆られたり、無駄な自我に振り回されたりもしない。


やがて、女性の評価が変化して均衡点の位置が変わってきたら、いち早くその位置で安定する努力を怠らないこと。


互いの均衡点が最大になって完全に他を排除してしまうまでは、均衡点はいくつ持っていてもかまわない。
あの娘も、この娘も、それぞれのナッシュ均衡に配置できるのだ。
無駄な欲望に駆られたり、無駄な自我に振り回されたりせずとも、複数の均衡点に縛られて安定していることができる。


そして、繰り返しになるが、その均衡点を維持する努力だけをして、それ以上の無駄な努力はしない。


これぞゲーム理論生活。