◎人類のジレンマ

ゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」問題を心理テストに応用してみよう。これもここのコラムで最高の参照数を誇る「ウサギとカメ」(id:kido:20040424)の心理テスト同様、かなり使えるものだと思う。
というより、このテストをやると結果にかなり動揺するだろう。
なぜなら、「檻の中のライオンはあなたの性欲を表しています」というような「まるで実感のわかない深層心理の暗喩」などではないからだ。

◎あなたは共犯とともに投獄された囚人である。
 しかし、警察はあなたが犯した別件の証拠は持っていない。
 今、バレているのは軽い罪の犯罪だけ。
 尋問中に警察はこのような司法取引を持ちかける。
 「もし、共犯者のやったことをすべて暴露したら、
  無罪で釈放してやろう」
 共犯者も同じ取引をもちかけられているに違いない。
 二人がシラを切りとおせば1年程度の刑で済む。
 相手だけが自分を売れば、自分だけが有罪になる。
 この場合あなたは酌量の余地無しで5年の刑になる。
 二人が同時に相手を売れば、二人とも有罪になる。
 ただしこの場合は罪を認めて酌量され2年の刑となる。

 さて、あなたならどうするか?

答えが出たら、覚悟して先を読んで欲しい。

この心理テストは、人が信義というものをどのように見ているかがわかるということだ。そのものずばりだから、暗喩でもなんでもない。

自分は信義を守り、相手も守る、と固く信じている人は迷わず「シラを切る」を選択するだろう。もしも、相手に売られたとしても、自分は信義を守ったことに満足して5年の刑期を過ごせると思っているはずだ。
自分は相手を裏切るし、相手も同程度に自分を裏切ると思う人は「裏切り」を選択するだろう。相手がもし自分の予想に反して「信義を守る人」だったとしても、「自分だけ無罪になれれば相手のそんな幻想はなんでもない」のである。

信義とは幻想でないと思えば、それは決して幻想ではなく、5年もの刑期を進んで受けられるほど美しいものなのだ。
しかし、信義は幻想だと思えば、単なる幻想なのである。

あなたは、今日、自分の信義というものに決着をつけてしまった。あなたの世界に信義は存在するかしないか。それはわたしの知ったことではないが、あなたの世界は今、決定されてしまったのだ。


もう2度と迷ったりしないでいい。


さて、今日の本題は「あなたの世界における信義」などというわたしにとってどうでもいいことではなく、ゲーム理論というあなたにとってはどうでもいい話なのである。
ただし、ここで正確にゲーム理論での「囚人のジレンマ」を解説しているわけでも、正しく応用しているわけでもない。
というか、意図的な曲解なので、正確な情報は
http://www.ssc.upenn.edu/polisci/prisoner/japan/jpdframe.htm
などを参照して欲しい。

そろそろタネを明かそう。

二人の囚人をひとつのチームとしてみよう。
この場合、互いにシラを切った場合のチームの刑期2年(1+1)は、すべての組み合わせの中で一番短い。チームとしては絶対に相手を裏切るべきではないのだ。

しかし、個人として見れば、相手を裏切るのが一番いい。相手がどう出るかまったくわからないとして、こちらが一方的に裏切った場合は0年、運悪く相手も裏切った場合2年。よってこの戦略の期待値は1年になる。
一方、相手を信じて互いにシラを切り通した場合1年、相手を信じて裏切られた場合は5年なので、相手がどうでるかわからない場合、信じる戦略の期待値は3年になる。
であるなら裏切ることに疑問の余地はない。

しかし、個人がそのように考えると、結果として互いに裏切り、お互いしめし会わせたチームの方が刑期が短い。そこで、前段のチーム戦略に戻って堂々巡りをしてしまう。
これが「囚人のジレンマ」のジレンマたるゆえんだ。

そもそも囚人のジレンマには前提があって、常に協調しあうひとだけが住む世界の結果は常に2年、どちらかが裏切りどちらかが必ずバカを見る世界の刑期は平均して2.5年になる。だから協調した方がトクとなる(協調優位幻想)。と、そして同時に、信じる相手を一方的に裏切るのが一番トク、次に互いに協調するのがトク、次に互いに裏切りあうのはイーブン、一方的に裏切られるのが一番ソン、という前提「エゴ優位幻想」。この二つの幻想が同時に両立した場合に発生するのだ。


これは人類が持つそもそもの矛盾した幻想である。


前提をいじって、自分が信じて裏切られた場合の刑期がもし5年でなく3年だったら、を考えてみよう。
時に裏切り、時に裏切られたとしても、平均すると1.5年の刑期になる。すると常に互いが信じ合う2年の刑期よりトクになり、もはや誰も「相手と気持ちが通じたらいいな」とは思わない。そんな世界では、誰でも「一方的に裏切る」ことを選ぶので結果、いつも「互いに裏切る」結果になる。
よってこの世界にジレンマは生じない。

また、一方的に裏切るのが、協調するより刑期が長ければ、お互いに常に協調していた方がトクになる。ここでもジレンマは生じない。

また、一方的に信じて運良く相手に裏切られたとき無罪になるなら、もちろん誰も裏切ろうとはしない。

さらに、互いに裏切りあう方が、どちらかが裏切るより刑期が短ければ、つねに「協調して裏切りあう」。

つまり、囚人のジレンマは前提が結果を規定しているのだ。

なぜ、この世がお互いさまであり、しかもしばしばエゴをつらぬく人が一番得なのかは、まさにこの前提に人類全体が固執して全員でジレンマの泥濘に囚われているからなのである。

協調幻想とエゴ幻想。どちらかが正しくどちらかが間違いであるとするならば、ジレンマは消え、答えはいつもひとつになる、ということだ。これについてはそれぞれの組み合わせをじっくり考えて欲しい。

「協調するよりお互い同時に裏切った方がトク」あるいは「エゴを貫けば結局ソン」などと人類が思い込めば、矛盾のない別の世界がそこにある、ということだ。