サービス業

こうやってPCに向かって日々考えたことなど綴ってすでに20年の歳月が流れた。
最初のPCはPC9801RAで初の32bitマシンだった。
モバイルではPC9801Nシリーズを使っていた。こちらは16bitマシンでクロックは10MHzである。現在の機種(ThinkPadT42P)が2GHZで32bitなので現在のマシンは当時より400倍ほど早くなっている。
メインメモリは2Mから1Gに増えているのでおよそ5000倍である。


で、やってることはというと、果てしなく無駄思考を繰り返しているばかりなのである。


実際、当時のノートパソコンでも書くだけなら同じ環境か、あるいは当時の方がある面では環境が優れていたかも知れない。


確かにあの当時は環境オタクという言葉があったりして、自分のPCのメモリの1Kバイトも残さず使おうとしたり、仮想386モードを駆使して2重3重にアプリケーションを起動したり(当時は神業と呼ばれた)、ハードディスクがない環境でよくあれだけのことをやったもんだと思う。フロッピー一枚分(1.25M)のRAMディスクだけでOSからアプリからすべて起動していたので起動は早かったし、WTERMのマクロとVZエディタのマクロで文章の作成中にもBBSを巡回して指定のフォルダ(当時はディレクトリと言った)に切り分けたりした。


当時の通信環境は1200bpsだった。
半角なら一秒間に1200文字送れるよという意味だ。
今は実測8Mbpsなので8,000,000bpsだ。何倍なんだろ。
というより、一秒間に8百万文字送信しても読めんだろ。と思うのだ。
1200bpsでさえかなりつらかったがまぁサーバーが遅くて読めたりしたが。


最近は文章を書きながらも、なにか迷うとぐぐったりして、知識ベースとして非常に空間は広大になった。それは数百とか数万という倍率では表せない広さになった。
だが、同時に、いろいろ調べているうちに本題を忘れて時間を浪費することが多くなり、結果的に文書作成にはあんまり寄与してないかも知れない。


これだけ早くなったはずのクロックも、なぜだかPCそのものの反応はもっさりしていて、過去の環境オタクのころのわたしだったら決して許せるスピードではない。


では、いったい、このすごすぎるPC内で何がそんなに動いているのか?


それは人間の命令なくしても動けるもの、である。
そのほとんどはウィルス駆除ソフトだったりする。(ノートン君頼むよほんと)
それを含む、いわゆるサービスというものだ。


PCにとって、一次産業とは人の命令で動くアプリケーションであろう。
農業が自然の恵みなくしてなにも得られず、生存と存在意義に直結するのと同じく、PCに人の入力なくてなにも始まらない。
PCにとって、二次産業はデバイスドライバ類で、人に豊富な道具を与える。最初は一次産業を効率化するためのものだったが、いつしか、過程が目的化してしまった感があったりして、現実の二次産業と似てたりする。


そして、三次産業がサービスの類なのだ。


三次産業はアプリケーションのようなソフトウェア資源も、周辺機器のようなハードウェア資源も必要としない代わり、クロックリソースを食い尽くす。
あたかも、人が遊びに時間を食われてろくに眠ることができなくなったのに似ている。


しかも、ウィルスというサービスからシステムを守るサービスやら、その基本ソフトを自動でアップデートするサービスやら、とにかく不信と怠惰がさらなる不信と怠惰をもたらす悪循環の権化と化している。
まるでテロや凶悪犯罪におびえて、ひたすらにアリコの保険や防犯グッズや軍事費に大きな出費を強いられるのに似ている。


こんな間違いはたぶん、二次産業でモノを売る連中が、夢を売り始めたころからはじまっているのである。
これを使うとすばらしいと宣伝するのは、これを使わない人生はみじめなものになると脅迫しているに等しい。(勝手に改造くんが指摘してるわけだが)
三次産業はそのものが脅迫だといっていいだろう。
ディズニーランド、海外旅行、インターネットにハイビジョン放送。
そして、探偵業にセキュリティ産業。
三次産業の提供するのは夢と同時に不安でもあるのだ。
実際の被害の総計よりも多くの金銭をその予防のために費やすことに疑問さえもてなくなってしまう。


次のWindowsの目玉もセキュリティとプライバシーである。
しかし、そのWindowsがまともな速度で動くPCがまだ発明されていないのだ。


すべては、猛威と脅迫に耐えるために捧げられるのである。


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