◎人はなぜイタイのか、進化とともに幸福感はなくなるのか

nhkでいつかやっていた話がある。


「人はなぜ眠るのか」


番組では、視点を変えてこう問い直した。


「人はなぜ起きているのか」


そこに答えがあると。


下等な生命もいくところまでいくと、眠らない、ように見える。
しかし、よく観ると、起きていないと言った方がより正しい。
動作は緩慢で反射的で、「眠るほど高等な生物なら寝ていてもできること」しか、下等な生物にはできない。


人はなぜ覚醒しているか、それは、ずっと寝ていたら死んでしまうからだ。
人は本来下等生物のように眠っていたい。
しかし、起きて食べ物を食べ、外敵から我身や子供を守り、生殖しないと種が途絶えてしまうのだ。
だから、無理にでも「起きている」のだ。


あるいは、このようにも言える。
人は進化の初期に「覚醒」を獲得し、寝ている下等生物よりも優位を得たと。


人が生きるために必然なのは眠りでなく起きていることだ。
確かに、眠りも必然だが、それは「太古の姿」が残っているだけなのかもしれない。眠りと完全に決別したとしても人は生きていける。
眠りそのものにはなんの恩恵もないからだ。


だが、覚醒と決別したら、人はすぐに飢えて死んでしまう。


人はなぜ幸せを感じるのか。
視点を変えればその問いは、人はなぜ悩み苦しむのか、となる。
どちらがより「生」にとって不可欠だろうか。


たぶん、悩み苦しむことだろう。
食べ物を得て、外敵から逃げ惑い、メスを追いまわすために人はキバや足やフェロモンを使わずもっぱら頭脳を使う。つまり、すべてに悩みが伴う。
下等な生命は、悩んでいるというより、むしろ、幸せなように見える。


人は「幸福」から目覚め「悩み」「苦しみ」「痛み」を進化の末獲得したのだ。
それらを持たない生物より、優位を得るために。
起きなければ死んでしまうのと同じように、イタくなければ死んでしまうのだ。


人はさらに進化すればやがて眠りから完全に決別するのだろうか。
そのときは「幸福感」とも決別するのだろうか。
眠る習慣がなくなれば、眠らなくても生きていけそうだ。
しかし、幸福感に浸る習慣がなくなったらどうなるのだろう。


幸いにもそんなふうにはならないだろう。
なぜなら、人間はすでに8時間の睡眠習慣と幸福感を残したまま、全地球生命の覇者となってしまったのだ。
これ以上眠りや幸福感を削って戦うべき敵対生物はすでに地球上には存在しない。


いきものとして、人類は間違いなく地球に君臨する覇者だ。
だから、これ以上いきものとして進化する必要は無い。
逆に、十分に発達した社会機構が覚醒と痛みや悩みの進化を逆転させ、眠りと幸福感への退化が起こるだろうし、それはすでにはじまっているようにも見える。
社会機構は、生まれたばかりで欠点も多い。人類発生から百数十万年たっているが、社会機構はまだ数千年しかたっていない。


ところが、個人に眼を向けると、まだまだ人は未だに戦い、多くが敗れている。


人類が勝利し、社会機構が勝利し、個人が勝利するにはまだまだ時間がかかる。


いきものとして、天敵を排除し君臨するだけで何万年もかかったのだ。
つい、この間まで、ワニに食われライオンに食われていたサルが、彼らをペットとし病原菌とも戦えるようになってわずか100年しかたっていない。
ひと個人がすべて幸せになるにはまだあと数万年かかったところで不思議はない。


では、いま、ひとはなにと戦い、眠らずに、悩み、痛み、苦しんでいるのだろう。
そして、いま、それを解決する方法はあるだろうか?


天敵に打ち勝った人類が神や人と戦っていることについての考察はまた今度。