◎あなたが運命のひと

A男は軽い。
B子は人気者。
A男はB子を追いかけまわしていた。
毎晩の熱烈ラブコール。
B子はA男を決して好きにならないと思っていたが悪い気はしなかった。
ただ、いつかA男を振るときに彼が傷つくことを心配していた。


地味なC子はA男の明るく楽しいところに惹かれた。
A男のB子への気持ちは知っていたが、A男を思う気持ちは強くなる一方だ。
辛い気持ちをA男の友人のD男に告白していた。


ついに、C子は一代決心をしてD男にたのんでA男を呼び出した。
C子の気持ちを知らないA男は考えもなしにノリで寝てしまった。
D男はふたりが恋人同志になったと思ってB子にそのことを告げてしまった。


B子はA男が熱心さの裏でそんなことをしでかしたことに腹を立てて、A男に2度と電話をするなと告げる。
C子の本心を知らないA男はパニックに陥り、そのパニックぶりを見てA男が自分になんの興味もないことをC子は思い知った。


D男は、パニック状態のA男をなぐさめ、C子とつきあうように薦めた。
傷心のA男はC子を呼び出し、つきあわないかと言った。
しかし、自分の一代決心をなんとも思われていなかったショックと、パニックぶりを見せつけられたショックと、手のひらを返すようなA男の軽男ぶりにすっかり嫌になったC子はその場でA男を振ってしまう。


本命に振られ、はじめはつきあうつもりもなかったC子にまで振られたA男はいったいなにが起こったのか考えた。・・・・・・D男だ。


せっかくうまくいきそうだったのに、台無しにされ、そのショックが醒めてもいないうちにまた告白されてA男のイメージが一気にぶち壊しになったC子はいったい何が起こったのかを考えた。・・・・・・D男だ。


A男にも、C子にも相談され、何日も電話や酒につきあわされ、二人とも幸せになればと心底願っていながら、両方から攻めたてられたD男は、いったい何が起こったのかを考えた。・・・・・・おれ?


人はみな神の道具である。
幸せを願い、誠心誠意接していても、思わぬ運命の引き金を引いてしまうことがある。
何気ない一言が相手の人生を変えてしまうこともある。
誰かの「正しい行動」が全員を間違った結論へ導く事もある。


運命という不気味な生き物が、冗談半分で自分たちをからかっているような気持ちにさせられることがある。


この世に神は存在しない。
仮に存在しても、それが自分たちの行動や思考を理解できる存在だと期待できるものでもない。


だから、それよりも重大な事は、ひとはだれでも神の道具になるということだ。
油断していても、注意していても、偶然が偶然を呼び、目の前に思ってもいなかった光景が展開される。


まるで、そこに神が存在しているかのように。


でもそれは、重なる結果からしか結果は生み出せないという宇宙の法則にのっとっているあたりまえなことなのだ。
人は時間と空間にしばられて生きているのに、思考はそれを軽々と超越してしまう。その結果見えてしまう奇妙な幻影だが、偶然であり、必然である。


ひとはよく、偶然か、必然か、どちらかと考えるが、そんなものはどちらも存在しない。
単純なことは必然に見え、複雑な事は偶然に見える。
そう、ただ、見えているだけだ。


客観的に考えれば、D男に特に落ち度はない。
C子ははじめから振られる運命にあったし、A男も同じ。
ならば、これは必然だったのだろうか?
あるいは、これは単なる偶然だったのだろうか?


タイミングと場所がわずかに違っていたらと人は思考する。
結果が結果を生む過程をみると、それが時間と場所でみごとに連鎖し、あまりにできすぎた話だと人は考える。それが偶然?それとも必然?どちらにしても不自然な気がする。


しかし、実際にはタイミングも場所も、人にはコントロールできない。


それにも関わらず、ひとは状況から学ぶ生き物で、原因をもとめて考える。


そう。そうやって考えることが、偶然と必然と、神と運命を創造しているのだ。
考えれば考えるほど、あなたは運命にがんじがらめになっていく。


ひとが必然も偶然も実は存在しないことを知れば、きっとD男を笑って許してやれるだろうし、運命に翻弄されているような自分が、人をも翻弄しているという事実を見つけられるだろう。


そして、少しはひともじぶんも許してやることができるのではないか?


結果からしかものごとは生まれない。
結果の複雑な積み重ねが、複雑巧妙に見えるのはあたりまえな話である。


偶然も、必然も、この世の中に存在しない。
存在しているのは、それを探し出そうとしているあなただけなのだ。


だからそう、確かにあなたは運命のひと。
そして、あなたこそが神の道具。


やっと結ばれた二人、奇跡が呼び寄せた二人、その感動をだからといって否定する必要はない。


結果の結果うまれたこの世界を、その実に複雑で冷酷で美しい模様を、なにかのせいと考えずに、ただ感動してながめてみるのもいいのではないか。