○マンウォッチング と フェミニズム

昔、いつのまにか手放した本をやっと再び手に入れた。


デズモンド・モリス著「マンウォッチング」


人間を外部観察によってのみ考察するというなかなかに奇抜なアイデアと予想以上の説得力をもつ人間観察図鑑である。
A4サイズの分厚い本だが、写真やイラストが全体の60%以上を占める、まさに図鑑である。
欲しくても絶版だったのだが、ヤフーオークションでたまに出るので気になる人はそこでチェックするといい。


さて、その本では人間が人間のために発する信号を類型的に整理し解説している。


ヒーローが肩を落として又に手をいれるとなぜカッコ悪いのか、同じポーズを女性がするとなぜ色っぽいのか、なかなかに説得力のある解説があって、ポーズやしぐさが持っている「記号」について、いろいろ学ぶ事ができる。


相手の顔の色の変化や、瞳孔の大きさの変化など、客観的に観察すると人はさまざまな反応を見せているのだ。


例えば、瞳孔は緊張すると収縮し、安心すると開く。
写真のレンズで言えば、瞳孔が開くと被写体深度が広くなり、瞳孔が閉じると狭くなる。


シャープな写真は絞りを絞って撮影する。
つまり、緊張して相手に注目して見ると、瞳孔は閉じるのだ。


女性は赤ん坊を見ると独身、既婚子供なし、子供ありに関わらず、瞳孔が開く。
しかし男性は、独身、既婚子供無しの場合、赤ん坊を見ると瞳孔は収縮し、子持ちに限って瞳孔が開く。「母性愛」は先天的本能的なものだが、「父性愛」は育児経験で獲得する後天的なものなのだ。


また、瞳孔の大きさはそれを見た相手にも影響を与える。
同じ女性の顔写真の瞳孔の大きさだけを修正して並べてみると、瞳孔が拡大した女性の写真のほうに好感を持つ。


人は感情の生き物だが、その感情は微妙な信号にメカニカルに反応する。


女性秘書が失敗を上司に報告する時、上目遣いに胸を突き出しながら報告するとあまりしかられないという観察結果もある。
それは秘書にもよるだろうし、上司にもよるだろうとは思うのだが。


さて、マンウォッチングには「個」としての人間の観察記録は豊富だが、群れとしての観察はあまりない。


そこで、群れとしての人間をちょっと考察してみよう。


多くの肉食動物は、オスをあまり必要としない。
ライオンのオスはいばっているが、狩はメスが行い、オスはメスに養ってもらう。
オスがするのはライオン同士の喧嘩だけで、強いオスがハーレムに迎えられる。
つまり、オスは遺伝子の能力だけをメスに証明し、その遺伝子を提供する以外の仕事をほとんどしない。
クマは群れをつくらない。オスは交尾のときだけメスに近寄り、交尾が完了すると一人で森をぷらぷら歩いている。
例外は狼などの犬科の肉食獣だけである。
狼のオスは群れに加わり、共同でえさをとり、子供の遊び相手などもする。


逆に多くの草食動物はオスがなかなかに健気である。
まずリーダーは必ずオスがなる。
常に外敵に眼をくばり、群れを統率する。
若いオスは群れの外郭に位置して、子供や妊娠中のメスを群れの中に位置させ守る(というか、先に食われる)役割を果たす。
リカオンやジャッカルなどの比較的弱い肉食動物を威嚇したりするのも、角を持ったオスの仕事だ。


サルは雑食だが、主には草食なので群れの仕組みは草食動物に似ている。


人間は、群れの中で狩や戦闘やリーダーをオスが引き受ける。
祖先のサルと仕事の分担は非常に近い。


フェミニストは男性が故意に女性を蔑視し、男性優位の男性社会を意図的に作ったと言うが、このように見るとそれはかなり強引な論理だとわかる。


強いオスがリーダーになり、強いオスに多くの群れがつき従うのは、チンパンジーでもニホンザルでもやっていることだ。
必ずしも、男性が理性的に意図してやっている証拠はない。


ただ、女性と男性の役割分担に変化が生じ、女性も仕事をするようになった近代において、その実力が公平に評価されていない、というのはまぎれもなく事実である。
人類も肉食化が進んだ、ということかもしれない。


中国が先進国に脅威を与えているのはかなりの割合で「平等な共働き」が行われている事にも原因がある。中国の人件費が安いのは物価格差もあるが、この社会構造にも理由がある。


だから、日本でフェミニズムが浸透して共働き率が今よりもずっと高くなったとすると、ワークシェアリングの論理が働いて当然だが一人当たりの報酬は減る。
もしも、ワークシェアリングしないと、無能な男性の失業率が上がるが、現在の無能な男性にさえ依存度の高い日本の家庭は次々に崩壊していくだろう。
結果的に無能な男性に依存した無能な女性までが職探しを余儀なくされるので、やはりワークシェアリングせざるを得ないことになる。
あるいは、今の倍以上の社会保障負担を行い、無能な人々を男女共同で養っていかなければならなくなり、結果的には手取り賃金は減る。


女性が男性と平等になるには、平均的に男性の賃金を切り下げるしか方法はないのだ。


もちろん、男性、女性とも能力によって正当に評価された給料を受け取るのだから、現在有能で高給をとっている女性も今よりは平均的に賃金が下がる。


フェミニズムは女性の平均賃金を上げるのではない。
新入社員や、無能な社員はベテランのパートさん並みの給料になる、ということだ。
当然だが、消費する金もヒマもないので、デフレは今よりもずっと深刻になる。


もちろん、国際競争力の立場から見れば、これはいいことだ。
有能な人の社会参加が増え、扶養家族(社会保障負担)が減るからだ。
世界の物価水準の平均化推進の立場から見ても、これはいいことだ。


今は超就職難の時代で、やはり女性の就職が難しい。
これは現実であり、はっきりと間違っている。
わたしは、ワークシェアリングをしてでも、女性の地位を向上させることに賛成する。


わたしの会社では現在女性社員が売上の40%をになっている。
人数は女性の方が多い。
それでも、男性社員の給料は、女性社員の総和よりも遥かに高い。
これは、ほとんどの男性社員の妻がろくに働いていないからだ。


男性社員の給料が女性社員並みになったら、競争力ではどこにも負ける気がしない。


ただ、夫婦が必死で働いてやっと今の旦那の年収とどっこいになることを、すべての女性が本当に望んでいるのかどうかは、わからない。