◎記憶と夢に生きている

あなたは幽霊やUFOを信じるだろうか?
サンタクロースは?
あるいは、人の愛は?
そのどれも信じるに足る根拠はない。


しかし例え、信じていなくても、もし、体験してしまったら、その体験は決して消えない。


そのとき人はどうしたらいいだろう?


人は主義主張を捨てることはできるが、記憶を捨てることはできない。


人は、記憶の捕らわれ人である。
今を生きながら、しかしその瞬間さえ、意識の中では今もすでに記憶でしかない。


記憶こそ人格であり人生なのだといってもいい。


そうやって記憶に捕らわれるわれわれが、もし、消したくても消せない経験をしてしまったらどうなるだろう。


その経験が強烈なら強烈であるほど、その先にはその経験に支配された人生しかないのだろうか。


確かに、記憶の影響は一生に渡って人を支配する。
そして、ほんとうに完全に記憶に支配されたまま人生を終える人もいる。


その人がイマジネーションをうまく使わなければ、そうなる。


イマジネーションは唯一記憶と拮抗する。


われわれは、記憶とイマジネーションのせめぎあいの中で決定をくだす。
時として、記憶と同じようにイマジネーションも自分を苦しめることがあるが、その場合の多くは、イマジネーションが記憶に支配されている時に起こる。


イマジネーションは、記憶だけで解決できない重要な問題を解決するためにある。


イマジネーションは本来記憶より遥かに自由で、創造的だ。


イマジネーションもまた、人格であり、人生なのだ。


そう、「あのとき、もし**だったら」と人は空想する。
きっと、あんなことにはならなかっただろう。
きっと、あんなふうには思わなかっただろう。


あのときは**だったから、そうなったのだ。


大切なのは、イマジネーションに力を与え、記憶に決着をつけることだ。


次の一歩を踏み出すことに焦りすぎてはいけない。
次の一歩を踏み出すのは、記憶に決着をつけてからだ。
そうしないと、一歩踏み出さなければならないことはわかっているのに踏み出せない状態でずっととどまることになりかねない。
焦れば焦るほど、自分が記憶に捕らわれ、逃げられないことを自覚し、記憶に敗北していくだけだ。
そして、余計になにもできなくなる。


人生の終りまでずっと。


あのときは、たまたまああだった、だけだ。
そうなったのは、自分でなかった可能性はいくらでもある。
そうなったのは、いくら考えてみた所でもう過去のことだ。


今は、あのときの自分ではない。


たいせつなのは、しっかりイメージすることだ。
もう、あのときの自分ではないことを。


そのためには、どんなふうにイマジネーションを利用しても良い。
どれほど手前勝手な空想でも、幸い、空想は顔にはでないので、人に知られることはない。
それは無茶だ、と指摘することは誰にもできない。


現実から逃避することはとても大切だ。
もっといえば、シアワセに暮らしているシアワセそうな人間はすべて、不幸の捕らわれ人より遥かに現実逃避をうまく使いこなしている。
わずらわしい過去の記憶を押しやって、自分の意識を自分の好きなことに全力で投入することがうまい人は、結局いろいろなものをそこから手に入れる。
それは現実の記憶とおなじくらい人生を満たし、支配する。


だから、記憶と同様、イマジネーションに支配されそこから手に入れたものだけで一生を終る人もいる。
経験をまったく意識できず、客観的に自分を見ないで、イマジネーションだけで人生を終る。それがあまりに強いと社会と適合できなくなる。しかし、だからといってそれが不幸とは限らない、不幸か幸福かを決めるのはイマジネーションが良いか悪いか、だけである。


家族や金や自分の肉体の一部さえ、人は失う。
それは熱力学の宇宙法則だから。


もし、あなたがシアワセそうな家族と、十分な金と、すばらしい肉体を持っていたとしても、そのかわりに悲惨な経験と絶望的なイマジネーションしか持っていなかったら、その人生が価値あるものだとは思えないだろう。


家族も、金も、肉体も、しょせんはよい経験とよいイマジネーションをあなたに与えるための道具でしかないのだ。


神は存在しないし、来世もない、われわれが生まれたのはただの偶然だし、ちっぽけな人生ははかなく短い。
あなたが死んだところで、世の中はなにひとつ変わらない。
あなたの人生にははじめから価値はないし、これからもない。


しょせん、あなたの世界のすべてはちっぽけな脳みそのイオン電位差の変化以上のものではない。
あなたがいくら苦しんだところで、脳内でほんの数キロカロリーのエネルギーが消費されるだけだ。


それが客観的現実だ。


しかし、客観的現実がどうであろうと、イマジネーションは不倒で不屈で命がある限り誰にもとめることはできない。
イマジネーションは自由で、愛と幸福とすべてを無限に生み出す。


過去に捕らわれる事でさえ、じつは、イマジネーションのほんの遊びなのだ。
あなたの意識のそとに、もうひとりあなたがいて、あなたという登場人物を悩み苦しませているだけだ。
どうしてもやりたがるなら、それは「あなたがやりたがっている」のだから、飽きるまでやらせておけばよい。
あなたが自分でやっていることだと気がつけば、やがてコントロールできるようになる。


あなたが神と思っているのは、あなたそのものだ。


あなたがすべてを支配しているのだ。