チャランポランな人生

文系クラスなのに突然「歯医者になれ、話はついている」と父に言われ反抗する。18歳。


浪人して日大芸術学部を受験するが、面接で落とされる。19歳。


あっさりあきらめて都内のデザイン学校へ。19歳。


親からの仕送りの金を銀行におろしに行ったその足でパチンコ屋に全額寄付。20歳。


デザイン学校卒業直前にインディーズシネマプロダクションに逐電。21歳。


TVドラマの助監督になりすましセットで寝起きして女優にベッドが臭いと言われる。22歳。


札幌へ劇団の旗揚げに行ったはいいが団員が集まらず砂糖で飢えをしのいだ。23歳。


やっとのことで実家にたどりついたら、倒産した。24歳。


東京でのキャリアを100倍誇張して地方TV制作会社にもぐりこみマラソン中継で中継車から落ちそうになる。25歳。


いま勤めている会社のソファーで1年間寝起き。26歳。


社長になる。34歳。


契約のとき会社のハンコを忘れ、決済のとき金を忘れる。現在。


一番チャランポランなのは、わたしを夫とした人か、あるいはわたしを社長にした連中だろう。
自分にとっては案外平凡な人生である。
ただ言えることは、いつも、ひとにできないことが自分にはやれると思っていた。


いま、毎朝会社を見て思うこと。
それは。


これで終わりか?


という疑問である。




疑問というより、自分に対する疑念である。




いつでも、目の前に「したいこと」があれば躊躇なく飛び込んだ。
もう「したいこと」は終ったのか。
こんなちっぽけな会社ひとつで終わりなのか。
確かに、いまの会社はほかの同業者では真似ができないことをやってはいる。
だが、スケールは小さい。年商4億がせいぜいだ。
支店展開する計画はある。年度ごとに新しい手法への挑戦もある。
何度か異業種の公演の依頼も来た。
銀行の本店から「銀行の新サービス」の企画の相談も来る。


しかし、そんなことはどうでもいい。
もう「したいこと」はタネ切れなのか?
これでほんとうに終わりだろうか?


40を過ぎ50を過ぎた社長さんが時として狂ったように暴走する。
わたしにはその気持ちがよくわかる。


今、わたしの髪は伸び放題に伸びて、すでに肩甲骨まで伸びている。
会社が伸び悩んだあげく営業で社員にあてにされることが嫌だし、実際以上にそとから評価されるのも嫌なのだ。
新社屋に移って、期待したほど業績が伸びないのに「こざっぱり」することになんとも言えない違和感を覚えるからだ。


今年の決算でははじめての0成長に頭に来て、役員全員の昇給を止めた。
90%の地場産業が赤字を計上している中で、0成長とは言えキャッシュフローを改善した事で銀行は誉めてくれる。
実際、それをやれば売上も利益も減るのは覚悟していた。


しかし、わたしにとっては、そんなことはなんの意味もない。
それは、会社を守るための手段にすぎず、成長とは関係ない。
できてあたりまえのことが、いつまでもできない。
すべての準備は終ったのに、結論が出てこない。
不景気ごときで停滞することが許せない。


必要なのは過去の「したいこと」に決着をつけることだ。