不眠症とは戦わない

まったく一睡もできない日が何日続けば不眠症というのか知らない。
高校のときは、約半年の間完全に睡眠のリズムが狂った。
夜、眠ろうと床につくと突然いろいろな想念に襲われる。
それは時にうきうきするような新しい劇のプロットだったり、時に熱烈な女性への想いだったり、新発明の特許だったり、しかし、多くは過去への後悔だったりした。


とにかく、窓の外が明るくなると安心する。
それまでは、暗い部屋の中で自分を中心に景色がぐるぐる回転するのを眺めたり、カーテンのドレープがぐらぐらとゆがむのに脂汗をかきながら心拍数を早めたりした。最初のうちは眠ろうとそれなりの努力をしていた。


学校でも授業中に眠くなることはほとんどなく、かといって、何事にも集中できず、起きてはいてもぼーっとなった。


眼をとじても、まるで眼をあけているときのように部屋の景色がそのまま見えて、本棚の本のタイトルまでちゃんと読めた。
そのうち突然、なにか予見めいたものが閃いたり、まちがいなく将来の光景といえるようなものが目に見えたりして、あわててメモをとったりしていたが、それが未来視として的中する事はほとんどなかった。


何日かすると、耳鳴りで人の声が聞こえずらくなり、学校を休みがちになり、突然昏倒して周りをあわてさせたりした。


それでも、周りが心配するほどには本人は心配していなかった。
それは、眠れない事が原因でも、特別な悩みが原因でも、ストレスが原因でもなかった。
なにひとつ心当たりがみあたらなかった。
ただ、そうなっている。
ただ、眠れない。ただ、想念が止まらない。ただ、ちょっと倒れる。
ただ、それだけだと思っていた。


わたしがそれほど深刻に考えなかったのは、
幸いにも昼の世界にまったく関心がなかったからだ。
だから、あえて明日のために眠らなくていい。
勉強や創作には夜のほうが向いていた。


そのうち、いつのまにか、眠ろうと努力することはやめてしまった。


一日28時間くらいのサイクルで生活するとちゃんと眠れることもわかった。
ただ、24時間の地球時間とのズレが大きくなるとやがて昼夜が逆転し、そのとき夜に眠ろうとするのでよけいにおかしくなると気がついた。


いまでも、午前2時前に眠りにつくことはほとんどない。
26時間か28時間サイクルで眠くなる時間がやってくるが、そのとき眠れるとは限らない。
眠る時は、本を読んでいる途中でパタッと寝る。
朝起きて、そのまま次の行から続きが読めるほどに。
だから、部屋の電気はいつも点いている。


いつのまにか眠くなったということを自覚する事がほとんどなくなった。
眠くなったと自覚するとかえって眠れなくなる。
限界まで眼をあけていなくては、眠れない。
部屋を暗くする、本をかたずける。そういう動作はかえって眼を覚ます。


絶対に、寝ようと努力しない。
眠れなければ、次々に本を出して読むだけだ。


今ではそれを「得した」とさえ思う。


時々、時計に目をやって、すやすや寝ているだろう家族や、そのほかの人たちより、これほど本が読めることを幸せに思う。
家の本の気に入ったものはほとんど5〜6回は読み返してしまった。
ヘミングウェイは通算で100回は読んでいる。


午後10時に時計を見ると「さぁ、これからの4時間をどう過ごそうか」と考え始める。映画なら2本見れる。本なら半分。
その間に食事さえとるし、風呂を沸かすこともある。
DVDを観るつもりでライナーノーツを読み始め、気になることがあればそのままインターネットで3時間検索を続ける。
わからないまま床に入っても眠れるわけがないからだ。


LAに研修に行った時は、ホテルが相部屋だった。
結局、往復の飛行時間も含めて6日間すべてあわせても6時間以上は眠らなかった。
部屋を暗くしなければならないのは苦痛だったが、同室者が寝てしまったことを確認すると灯りをつけ、TVをつけ、本を読んだり、誰か寝ていない人間を別の部屋で見つけては、朝まで話し込んだりした。
さすがに最終日になると、わたしが眠らないことが同室者から全員に知れ渡り、徹夜をつきあった人が証言してしまったので、超人と呼ばれたりした。


でも、わたしはこれを病気だとは思っていない。
そのことで悩んだことは一度もない。
確かに徹夜明けの一日はつらいが、それも午前中だけ。
午後にはふつうにもどっている。


夜も、わたしの脳みそは普通のひとよりずっと興奮している。
それだけのことなのだ。


ただ、高校のときのように、無理して眠る努力をするのだけは2度とごめんだ。


そんなこと考えただけで眠れなくなる。