○心理フェロモンクロスマッチ

人を好きになるのはいい、想いが成就しなくて傷ついても、それはそれでいい。
人に好きになられるのはいい、自分の望む相手ではなくても、振ったことでかえっていろいろ思い悩むことがあっても、それはそれでいい。
人を嫌いになるのはいい、ちょっと自分に悪いところがあったとしても、先手必勝で嫌いになってしまう嫌らしさも、それはそれでいい。


でも、嫌われるのってなんでこう、こころに刺さるのだろう。


相手のことを嫌っていてさえ、嫌われるのは恐い。


なぜだろう。


誰かが自分を好きだとしても、そんなことは、無視さえできるのに、なぜ人に嫌われることはこんなにも気にかかるのだろう。


好きな人のことを考えていればいいのに、気がつくと、自分を嫌ってるんじゃないかという人のことばかり考える。


なぜだろう。


・・・・・・というタイプの人がいる。(おい)


そして、そういうタイプの人は、往々にして、自分がそれほど好きかどうかもわからない相手でも、ちょっとでも「相手を不快にしたかも」と思うと相手に意識が集中してしまう。


そして、その結果相手を深追いしすぎて、逆によけい嫌われたり、それならまだしも「惚れてんのとちゃう?」と誤解を与え、かといって引くに引けず、どーにもこーにも***ちゃん的状況に陥る。


考えてみれば、ふつうなら引くところ押しまくるわけだから、ふつうなら引いておしまいの相手でさえ、ともすれば友達にしてしまう得な性格なのかもしれない。


客観的に見れば。確かにそうだ。


しかし、本人はいつも心中ドキドキしているし、ほんとならもっと考えるべき友人や恋人のことまで後回しで、自分を嫌ってそうな人ばかりに集中する妙にバランスの悪い、あるいは、燃費の悪いこころの運動だと思うに違いない。


いわく、損な性格だなぁ、と。


でも、どうしても気になる、あの、不思議な態度。


じつは、これはほとんど相手にも原因があることなのだ。


相手は、たぶんあなたと同じ位臆病。
単なる親近感を示すことがとても苦手。
本人も自覚しない、ある種の心理フェロモンを持った人。
逆もありで、単なる嫌悪感を示すことが苦手な人もいる。


そういう、はっきりしない人に妙に関心が行ってしまう自覚があるならば、そこはそれで、自分なりに防衛も可能である。
相手のもって生まれたワナ、意識していないのに特定の人をひきつけるワナについては、理解しておくことが必要である。


ここははっきり、相手のことを好きか嫌いか、自分できっちり落とし前をつけておいて、相手のワナには「あ、ワナだ。ワナ。踏んでみよう」(踏むのか結局)くらいのつもりで挑んでいけば、少なくとも気持ちの悪さはある程度軽減できるだろう。


これには応用もある。例えば、母性本能過多な人の場合。


ソトズラやたらとコワモテでなかなか近寄りがたい雰囲気のくせして、メールなんかの内輪ではやたらと弱点丸出しのタイプとか、これも当人がそう思っていなくても特定の人をひきつける心理フェロモンであるし、それにやたら弱い人もいる。


生まれつきの心理フェロモンが過剰なタイプ、特定の心理フェロモンに弱いタイプはほかにもいろいろいる。


劣等感からやたらと自己顕示欲が強く、知識を喋りつづけなければ不安にかられるタイプと頭のいい人にやたら弱いタイプ。
相手の心理を読むことが本能的に好きで、ずばずばと気持ちをいいあてないといられないタイプと占い好きなタイプ。
セックスアピールをしているつもりがなくてもしてしまうタイプと中学生なみの知性しかないバカ男。


こういうペアタイプはきちんと自分の中で分類整理し、体系づけた「たらしたらされタイプエンサイクロペディア」みたいなものを構築しておくべきだろう。


つねに、人を見れば本人の自覚しないさまざまなフェロモンタイプを発見するのは、なかなか楽しいものなのだ。


本人が無意識にフェロモンをふりまいている場合、かなりの確率で「よってくるのはいつもおなじパターン」ということが多い。
しかも、そのパターンが好きならまだしも、嫌いということもある。
「自分はどうしてこのタイプばっかり!」と悩んでいるなら、友人にでも分析してもらうといい。たいていはあなたの心理フェロモンのタイプをずばりといいあててくれる。


もちろん、心理フェロモンにいろいろバリエーションがあって、それを同時にいろいろかもし出せる人もいる。こういう人は類型的な恋のタイプに陥らないかも知れないが、じっくり分析すれば該当する複数のフェロモンタイプを必ず発見できる。
こうやって日々人の性格に興味を持つことは人生を変えてしまうくらいに楽しく有益である。


しかし、心理フェロモンで一方が一方を引き寄せただけでは、恋は生まれない。


相手がよってくる類型タイプを嫌いなら絶望的である。
つまり、状況にセットされた「実らない恋」の類型である。


なぜ、人と劣ったところがない自分がこれほどまでに「両想い」に遠いのか。失恋のパターンがいつも同じ、という人は、この点について考えてみたほうがいい。


かなりの確率で、自分がふりまいてる心理フェロモンか、自分が弱い心理フェロモンが発見できるはずだ。


恋が両想いとなり、うまくいくのは、両方になにがしかの心理フェロモンがあり、そのフェロモンが互いに好きなタイプの場合だけである。これを心理フェロモンクロスマッチと呼ぶ。(もちろん適当な造語)


世の中、「出会い」が運命のような短絡した話が満ち溢れているが、意外にハズレが多いのはこのためだ。
出会っただけではダメである。
そこにどんなドラマがあっても。
心理フェロモンのクロスマッチがなければ、恋は生まれない。
生まれるのは悪くすれば最悪の思い出、うまくいってせいぜい笑い話である。


これらの知識体系は、大人としての基本的な備えである。


自分がどんな心理フェロモンに弱いかを理解して、さらに相手がどんな心理フェロモンに弱いか、さっと理解してそれを変化自在にふりまく、それくらいは大人なら当然のたしなみなのである。


カップルをみていると、その恋がどうなるか、おおよそ見当がついてしまうのは、心理フェロモンタイプが客観的には意外によく見えるからだ。クロスマッチしていない場合の破局のパターンさえ予想通りということも別にめずらしいことではない。


でも、自分のこととなるとなかなかわからないのも事実ではある。


心理フェロモンクロスマッチは相性占いの基本である。


占いが好きなのはいいが、どうぶつだ、寿司だ(占いトレンドには疎いのでネタが古いのはいかんともしがたい)と言っている前に、今回のテーマについて、もう少し研究してみるべきだろう。