三題噺わたしが***なわけ
★わたしが禁煙しないわけ
わたしは煙草を吸いつづけている貴重な存在である。
しかも、禁煙する気はさらっさらございません。
煙草を吸うことにソコハカとない罪悪感なども、微塵もございません。
その理由を明確に説明しよう。
わたしは人間である。
しかも、いまのところ生きている。
わたしが生きている限り、さまざまな死因が、わたしにとどめを刺そうと熾烈なデッドヒートを繰り広げている。
生きている限り、死ななければならないからだ。
その熾烈なデッドヒートで
現在のところ、先頭を突っ走っているのは、肺ガンだと仮定しよう。
わたしも生きるものの定めとして死に物狂いで死因たちから逃げている。
鼻差でほかに先駆け肺ガンがわたしにタッチすれば、わたしは家族達の前で
「ああ、煙草なんかやめときゃよかったよ」
とサメザメ泣きながら死んでいくだろう。
ここで、わたしが煙草をやめたとしよう。
わたしは死に物狂いでやはり走り
後ろから胃癌や、脳梗塞や、心筋梗塞、老衰、高血圧、新型クロイツフェルトヤコブ病、あるいは交通事故、殺人者などが必死の形相で追いかけている。
煙草をやめたところで、すぐ後ろの死因たちとはいくらも離れてはいないのだ。
それらが命がけでおっかけてくるのだ。
そして、120歳の手前で必ず何者かに追いつかれるだろう。
わたしはか弱い人間で、いつなんどき、どんな理由で死んでもおかしくない。
運がよければ長生きするし、運が悪ければ早く死ぬ。
その死ぬ確率は、人類平均の死亡率ときちんと一致する。
煙草が確率に影響をあたることはほとんどない。
煙草をやめるというのは、例えるならばこういうことだ。
沈みゆく船でデッキチェアを修理する。
★わたしが健康のために運動しないわけ
わたしは運動は嫌いじゃない。
無理なく身体を動かすのは、時に楽しい。
たまにはアスレチッククラブへ泳ぎにさえ行く。
しかし、健康のために運動したことはない。
ある人は、一日2時間、健康のために運動をするという。
しかも、いやでいやでしかたがないが健康のためにそうするという。
そして、運動のお陰で一日8時間はぐっすり寝るという。
わたしは一日19時間活動している。
それに比べると彼はは一日14時間しか活動していない。
仮にわたしが60年生きるとしたら、12.5年は寝ている。
そして47.5年は活動している。
彼は、運動で2時間、睡眠で3時間分わたしより一日が短いので
20年余分に80歳まで生きたとしても33.3年は寝たり運動したりして、わたしより一年短い46.7年しか活動したことにならない。
わたしはさっさと60で死ぬとはかぎらないので、かれは安全マージンとせっかくの苦労の分を含めたら110歳まで生きないと割にあわないだろう。
楽しんでやれれば、それは日記を書くように有意義なことだろうが、いやいや行うとは信じがたい。
わたしにはとても真似できません。
おろか過ぎて。
★わたしがプリンタとスキャナが妙に嫌いなわけ
わたしはプリンタとスキャナが妙に嫌いだ。
プリンタにはヘッドクリーニング、スキャナにはキャリブレーションという動作がつきものだ。
わたしは、機械のくせに段取りを主張するから、こいつらは嫌いだ。
「ちゃっちゃと早く印刷しろ!」
と思っても。
ぶうー、ぶうー、び、びーっ、びーっ、びーっ、びーっ
終ったかなと思う間をあけて
びっびー、びっびー、びっびー、びっびー、
終ったかなと思う間をあけて、また最初の段取りにもどる。
「いやー、急に仕事しろって言われてもさぁ
こっちにも、段取りってもんがあるんだよね〜」
って余裕で言われてるようで、妙にむかつく。
こっちがどんなに急いでいても絶対に段取りを変えたりしない。
しかも、なにをそんなに一生懸命やってるのかさっぱりわからない。
しかも、こっちがイライラしているときに限ってこっそり余分にやってるような気がする。
ほんとうは、ただ単にわたしをイライラさせるために嫌がらせをしているだけ、のような気さえする。
その点、PCも段取りの権化のようで、起動にはイライラするが
PCは勝手に固まって落ちるまで何日も電源を切らないので
「あ、ご主人様、わたくしつい気を失ってしまいました。
ちょっと働きすぎたようでございます。
多少いらつくが、あまり問題はない。