○状況は責なき人を責めたてる

わたしの叔父が自殺してしまったのはちょうど2年前だ。
一回目は酒を飲んで手首を切った。
血まみれの小さな車を、警察の駐車場から搬送したのはわたしだ。
血で服が汚れないようにピクニックシートを持っていった。
叔父の奥さんはいたってまともな人で、わざわざ車が到着するまで外で待っていてくれた。そういう、礼儀正しい、世間との付き合い方を知っている人だった。
わたしはほんのガキのころからその叔父を慕っていて、いろんな面で影響を受けた。頭がよく、ハムを取得して真空管無線を自分で組み立てた。
転職を繰り返した時も、一回目の結婚を反対されて駆け落ちしたときも、一回目の結婚が失敗して失踪したときも、二回目の結婚のあと不始末をしでかしたときも、家族は親身になって彼を立ち直らせようとした。
叔父は2度目の結婚で、何度目かの転職ののち、その家庭で子供を二人もうけていて、その子供も中学生と高校生になっていた。
ほんのいっとき、彼はよい人間だった。
それは、彼にとっては自殺しか道のない環境だった。
一見平穏無事で、彼も責任を果たしていて、言い逃れできるものはまわりになにもなかった。
彼は、独身で、世間に「無責任」と呼ばれ、職を転々としながら生きるべき男だった。人々に心配をかけながら、のうのうと生きていればよかった。
人々を安心させ、立派な家庭をもち、子供を育てるのは、そもそも向いていなかった。
風俗店でくだらない騒動をしでかして家族と親族に迷惑をかけ、一度目の自殺が失敗したとき、わたしが離婚を提案したところで、彼さえそれを拒否することは目に見えていた。
まわりからの必死の善意が、着実に叔父を追い詰めていることに気がついていても、だからといって周りの善意の人を、すがる家族を責めることはできまい。
かくして、いつか本当に死んでしまうことを薄々予感しながら、わたしは傍観するしかなかったのだ。
何度か親族をまじえて、家族会議が行われたようである。
彼は自殺未遂者として、素直に反省を示し、謙虚に人々の意見を聞いたという。


二度目の自殺はそれから半年後、倉庫で、ロープによって確実に行われた。


誰も責めることはできない。
本人の持って生まれた性格にも責任はない。
必死で彼を立ち直らせようとした家族たちにも責任はない。
ただ、状況がさだめた終末であった。


なんの責任もない人を襲う、状況にさだめられた運命。
幸せを求める、悲劇の組み合わせ。
わたしがそれについて考えはじめたきっかけだった。


人が努力して幸せになるのは、そう簡単なことではないように思える。


一見幸せそうに見える状況に、破滅がすでにセットされているように見える。


善良で悩み深く、努力しようとあがく人々。


よき父、よき母であろうとする親のもとで破滅していく子供達。


幸せをあまりに簡単に定義しているからではないだろうか。