『ダディ・ザ・ナイト』

いま、すべての仕事から解放され、とりあえずなにか書け、といわれたら、とりあえず書こうかな、程度の小説のネタがある。


それは、10代の娘から嫌われる父親の話である。


小説はすべて娘の視点から描かれる。


その父親は、近所付き合いや仕事を真面目にこなす面白味のない男である。


自分の妻にさえ馬鹿にされるほど、面白味のない男。


ブランド好きの母親と姉妹のように育った娘は、現代っこそのもの。


その父が、会社を解雇され、妻に離婚を宣告され、妻とともに別居した娘と月に数回会うだけの存在となったときから、徐々に変貌をはじめる。


助けを求めるものを全力で助け、礼節をわきまえ、惑わされず、弱音をはかず、屈しない。


平和なときには面白味のないだけの男が、逆境の中でさまざまな苦難を迎えた時、実は、騎士のハートを持っているということに、娘は徐々に気づき始める。
長年間違った主人に仕えてきた男が、新たな主人として自分を選ぶ。


という話である。


現代版ドンキホーテと言ってしまったら実も蓋もないが、家庭も仕事も財産も守ることから解放された男が、ひたすらにハートに生きる姿を描いてみたい。


現代っ子そのものとしか言えないような、若くて軽薄な10代の娘をプリンセスに選び、ひたすらその娘に騎士として仕える。
悪い主人を持った騎士が、ひたすらに仕えながら、徐々に主人にプライドと正義感を与えて、やがて名君に成長してゆくのをじっと見守る、そんな物語だ。


ひとは自分を守るためでさえ、時にはアンフェアな行動をとってしまう。
何年もの修行を積み重ねてやっとそれを克服しても、やがて家族を守るためにどうしても家族のアンフェアな行動を認めざるを得なくなるときもある。


いつでもプライドを持った騎士として生きていけるとは限らない。


騎士として生きることを許された男の強さのようなものを描き切れたらおもしろいだろう。


会社を経営していて、ときどき思う。
会社とは、ある意味で顧客にとっての忠実なナイトでなければならない。
しかし、時として主人が間違っているときもある。
堂々と、主人の間違いを正せるような、真のナイトでいることは難しい。


気のせいか暴君が増えた、と思う今日この頃である。


主人を正しく教育することは、ことのほか騎士にとっては重要なことだろう。


騎士は主人を選べないのだ。