プロフェッショナル

10代のころ、友人とワープロで名刺を作った。
わたしはTV制作会社の臨時社員で、ボーナスが出ない代わりにアルバイトを自由にしていいという特権を与えられた。
もう一人の友人は就職浪人するかわりにダブった大学生だった。

その名刺でどれくらい仕事をしただろう。

たぶん、年間で30万〜50万くらいだった。TV番組の制作が希望だったが、それ以外の婚礼VTRや企業VPやCMのパイロット版などせせこましい仕事も、依頼されればなんでもやった。給料的にはアルバイトとほとんど変わらない時間給がほとんどだった。
それでも、映像プロダクションという冠のついた、ひとつの個人事業だった。
アルバイトとしてやっていたのと同じビデオ撮影やら編集やらの仕事だったが、企業ビデオの巻末に制作スタッフとして社名が出たりして、やはり、名も無きアルバイトとは違うと思っていた。

そういう気持ちは外にも伝わるもので、アルバイトでできる仕事の範囲ではわたしたちが最も必要とされたし、下手なフリーランスのプロの何人かをお払い箱にもした。

そう、簡単に言うなら、そのころわたしは自分たちをプロだと思っていたのだ。

その会社は、一度として申告をしないまま、消えた。

その当時、わたしたちにとってプロとは、シロートとは比べ物にならないクオリティを提供してこそ、プロ。

だから、納得がいかなければ、時間給を無視して徹底的に凝ったりした。

しかし、内心の目標では、真のプロとは『当然の報酬をしっかりとること』だった。無料奉仕を続けている間は、プロとは呼べないとも思っていた。

ところが、そのプロダクションが自然消滅し、わたしの次なる仕事はクリエイティブでもなんでもなく、要領さえよければわたしより稼ぐシロートはいくらもいた。

時はまさにバブル全盛。

フリーターが年収400万円を軽く稼いだ時代だ。

しかし、わたしは『当然の報酬をしっかりとること』を目標にしながらも、『シロートとは比べ物にならないクオリティ』をその業界でも捨てることはできなかった。
どんなときも最善のスタッフを集め、つねに夜なべして最新の知識を集め、経費をかけて、いつまでたっても要領よく儲けることはニガテだった。

それは、いまも変わらない。

多少の儲けはすぐに仕事のクオリティを上げる設備やソフトウェアやなんかに惜しみなくつぎ込んだ。つねに新しいことに挑戦し、2番煎じを決め込んでいたならこうむらなかった損害から、新しいノウハウを自力で積み上げていった。

お前は要領が悪い。お前はこの業界に向いていない。

同業者ばかりか、親兄弟にさえそういわれた。

けれど、悔しさをバネに歯を食いしばって頑張った。と言うのはウソで、

わたしはいつでもマイペース。

振り返っても悔しがってた一時期が一番頑張れていなかった。

悔しがって、頑張ってるのは、プロではない。

しょせん、悔しさが生み出す仕事のクオリティなど、低いのだ。

だから、ほとんどいつも、わたしは自分の仕事を納得いくようにやっていただけだ。いつでも、悔しさに捕らわれさえしなければ、楽しく仕事をやっていた。

ほんとうに、いつでもおもしろくて仕方がなかった。

今は、同業者からも憧憬されるだけの量の仕事をするようにはなったが、それでも個人の報酬は同業者の社長と比べると遥かに安い。
値引きを一切しないので粗利率は業界でもトップクラスだが、純利益率は業界最低と言うウワサもあるし、それはあながちウソではない。

『当然の報酬』とは、そんなもんだと思っている。

そして、わたしには本当のプロフェッショナルがどんなものか、やっとおぼろに見えてきたような気がする。

わたしが目指す、本当の、真のプロフェッショナルとは。

 




 シロートが及びもつかないクオリティで仕事をし、
 




 当然の報酬を受け取り、





 しかも、依頼人からは





 報酬を払ってなお感謝されること。







このすべてを満たした時、わたしは自分も真のプロフェッショナルになったと自覚するつもりだ。



しかし、それでもその根底の部分はきっといつまでもかわらない。

シロートには及びもつかないクオリティの追求。

これだけだ。

うちの社員には女子もパートもいるが、自分の仕事に対して、クオリティへのこだわりのない者は一人もいない。

みんなプロだ。

プロは楽しそうに仕事をする。