○ゾウを飲み込んだヘビから逃れられない人々

星の王子様のゾウを飲み込んだヘビの挿絵を見て、自然分布曲線に似ているなと思った。
(ゾウを飲み込んだヘビの図が創造できなければ、王子様は悲しむだろうが麦わら帽子を横から見た図でもいい。)

自然分布曲線とは、例えば個人の身長を測った時、平均を頂点とした大きな山の形に分布する。

体重も同じく。

これらのグラフは大きさはどうあれ、形はつねに非常に似ている。

自然界の確率のばらつきに法則があるからで、これは学力テストなどでも現れるように、個人の努力を飲み込んでしまう。
全員が努力して100点を取れば話は別だが、普通はそうはならない。
個人の学力と努力は相殺され、収まるべきとろこへ収まってしまう。

例えば、宝くじに当たる確率は5百万分の1で、これが3回当たる確率は5百万×5百万×5百万、分の1となる。
とてつもない確率だが、これを達成した人はいる。

宝くじの場合は一回の宝くじでは分布がわざとゆがめてあるので、一枚買って当たる金額の確率分布は非常に変形したものになる、しかし、基本的にはその形は相似形なので、複数回に渡って複数枚買った場合も同じ形である。
ただし、グラフはどんどん大きくなり、合計賞金額の最高もどんどん大きくなる。

だから、たくさんの人が複数回外れれば外れるほど、右の先端で猛烈な幸運に恵まれる人が『かならず出現する』のだ。

これは風水でも運命でもなく、あたりまえのことだ。

たくさんの人が外れるから、グラフは押し上げられて幸運な人を必ず生み出すのだ。

それが誰か、というのは偶然にすぎない。
そんな幸運がこの世には存在し、それがあたりまえのことだ、ということ。

例えば、5百万枚の宝くじを買えば、当たり以下すべての順位のくじを引くのは確率的にはあたりまえということになる。
しかし、4999999枚のハズレを引いたとしても、次の一枚が当たる確率が100%だという保証はない。同じく5百万分の1なのだ。

だから、グラフの右にたいへんなラッキーを掴む人がいれば、その写像でグラフの左にはとんでもないアンラッキーを掴む人も当然出現する。
1等を3回当てる人がいれば、1等が3回あたるほどの宝くじを買ってもひとつも当たらない人もいるはずである。
もちろん、そんな財産は誰も持っていないし、そんな財産の使い方も誰もしないので、『その一人に等しい分を』たくさんの人が分け合って負担しているだけだ。

なんのことはない。
羨ましいあの人は、それを羨ましがるみんなで製造しているだけのことだ。
風水を実践している人だけのグループで統計をとってみても、確率分布がゆがむことはありえない。



この宝くじの5百万分の1に比べれば、われわれの人生を決定する確率はもっと自然な形で自然に分布する。

だから、知識や努力などあらゆる確率のファクターに相殺され、平均的な人生を頂点とする分布図のどこかへ、収まるべきとろこへ、必ず収まる。

誰しもグラフの左へ行きたいとは思わない。
右を目指して、さまざまな努力をするだろう。
そして、学力テストと同じく、努力と属性に相殺されて、収まるべきとろこへ収まっていく。
だからといって、努力していればかならず右へゆけるとは限らない。
人類全体が努力しても、かならず、左には『人類で最低の人生』が存在し、誰かがそこへ落ちていく。

だから、人生を統計や確率で語ったような、安寧なカタログどおりに生きようとするのは間違っている。

期待すればするほど、それは裏切られるだろう。

それは、確率的に言っても、ただしい。




昨日の繰り返しになるが、人生はプレーヤーが自分で自分の勝負どころを決めるゲームである。すべての危険に対して、確率にしたがって均等に努力すればそれはなにもしないに等しい。

人類がみな同じ能力で、同じ行動をとって、同じことをしているわけではないからこそ、人生を語るあらゆる統計は自然分布になってしまうし、アンラッキーなニュースは考えられる最低の想像を越えて悲惨なアンラッキーに見舞われる。

個人が自分の人生の安寧のために、統計的な事故に統計的なアプローチを行うのは、とんでもない間違いである。

禁煙を行えば、禁煙を行った人、というグループの自然分布のどこかで死ぬだけだ。禁煙者の平均寿命にも山もあれば、右もあれば、左もある。山のピークが2〜3年喫煙者とずれているとしても、自分が山のどこに納まるのかは、死んでみなければわからない。




統計的な危険は、あくまで統計にすぎない。

全人類がタバコを止めると平均寿命は2〜3年延びるという説もある、しかし、そのために交通事故死や別の病死が増えるだけという説もある。

平均寿命世界一の日本で、平均寿命日本一なのは沖縄県だが、この県では肺ガンの死亡率が大阪についで高いのも事実だ。
憶測だが、タバコ好きが多いのだろう。
肺がん発生率が高くても、平均寿命は日本一なのだ。

予防医学は、生活レベルが十分低ければたいへんな成果を上げるが、生活の水準があがってしまうと成果を上げることが難しくなる。都会に住む予防医学の学者はもはや昔ほど有益な情報を提供することはできないことを知っている。




統計をゆがめるほどに治安が悪いとかのファクターがなくなった日本では、統計の一面的な部分など、政策には影響を与えても、個人の人生にはなんの関係もないのだ。

一面的な統計を披露するアホらしい知識バラエティや買ってはイケナイなどという低脳啓蒙本を見て、いろんな健康といわれる食材を追いかけ、危険と呼ばれる物質を避けることに人生を費やす間に、自分のゲームを見失うことの方がよほど恐ろしいのだ。

※平均寿命と年齢別人口分布という間違ったアプローチで持論を展開しました。
 平均寿命と年齢別人口分布は直接的に関係ないので、その部分の記述は削除しました。