倒壊人間

わたしが今の仕事を始めた頃、創業者の父親は客先で『あいつには向いていない』と言って歩き、うちの美人の奥さんは『今の仕事で稼げないならトラックでも転がせ』と言った。


わたしは、事実、誰でもできるようなことがぜんぜん出来ない。
弁当を持たされると、必ず会社に忘れてくる。
客を案内しながら道に迷い、契約の日にハンコを忘れ、決済の日に金を忘れ、銀行で通帳を忘れ、役所でなにをしに来たか忘れ、車に乗りながら目的地を平然と通り過ぎる。電話を受けても保留にしたまま忘れてしまう。会社ではわたしが電話を取らないように一丸となって電話の早取りをする。まるでテレクラである。


夜の自分と朝の自分は別人格とはっきり気がついたのも若いころだ。
夜頼まれたことを朝に覚えていることは稀だ。大切な事は手にボールペンで書いたりするが、それを何度読んでも意味がわからないことさえある。
ある日、見覚えのないアドレスのメールが来てその日することをクドクドと指示してあるから誰だろうと思ったら、夜に自分が書いたメールだった。


そんなわけで昨日は、先週2時間待たせたあげくすっぽかした客に会いに行くのをさっくり忘れ3時間遅れで到着したが、すでに就業時間をとっくに過ぎており相手の会社は無人になっていた。20代なら自己嫌悪で10日は自宅に引きこもって当然である。自分がまったく信用できず、人と話をするのが恐くなる。
真っ暗になった駐車場でひとり立ち、『ああ、またやってしまった』と頭を抱えたら、負けである。
出直しても、どうせまた忘れるのだ。悔しかったので、自宅に戻っていた客を携帯で呼び戻し、まんまと依頼を受けてしまった。


昔勤めていたパートのYさんは辛らつな一人ごとを言う。わたしは、それを聞くのが好きだった。
彼女はわたしが目の前で引き起こす惨事の数々を冷淡に見つめ
『今日は廃人度70か・・・・』
と、つぶやく。彼女の判定で50を切ったことは一度もない。彼女の自宅は我家から見えるので、美人の奥さんに『ほら、もうYさんは会社へ行ったよ、あんた早く起きなさい』とまるで小学生のようなことを言われたものだ。


しかし、30も後半になるとそんな程度ではメゲない。
というか、もはやそんな些細な事はどうでもいいのだ。


これこそ、まさに開き直ったオヤジである。


開き直ったオヤジのウザさはよく見てきた。開き直ったオバサンも。自分だけはこうなるまいと固く誓ったような気もする。
ただ、なってみてわかったが人間が開き直るということがどういうことかというと、それまでクヨクヨウジウジ人並みに振舞おうとしていたことが、実は自分にとっては小さなことだと気づくのだ。そんなことにかまけていられるほどヒマでもないのだ。自分には自分のスタイルがあり、それは些細なことに捕らわれて失ってはならないものだと気づくのだ。


わたしは一日のうち大半をパソコンの前でボンヤリ過している。そして、大切な約束をすっかり忘れる。それはなぜか。


とても約束を果たすことなどできないほど忙しかったから、なのだ。


一週間のうち数回は昼飯を食うのを忘れるし、いつの間にか冷めたコーヒーが目の前にあることに驚くこともしばしばだ。
とにかく、一度なにかに集中し始めると、他のすべては消えてしまう。


そんな沈思黙考の末にわたしが思いつくことを最初に口走ると、社員達のたいていの反応は『ドジをカモフラージュするためのハッタリ』程度にしか受け止めない。『はぁ、そりゃあ、そうなりゃいいですねぇ』とは言うものの、目は『もうちょっと稼げよ』と言っていた。


事実、わたしは社長になってからもポジション的には営業だったのだが、会社の誰よりも稼いでいなかった。
わたしの属する業界は、もともと営業オンリーの業種で、アシスタント(女子社員)やパートなどが大勢うろうろするような職場ではないのだが、うちの会社ではパートだけでも営業と同じ数いるし、アシスタントも営業2人に1人はいる。営業は同業者の3倍の売上を一人で上げるが、その大半はパートやアシスタントのサポートがなければ稼げない。
パートとアシスタントの作業ルーチンを作り彼女達を雇ったのはわたしなのだ。
営業の作業をひとつひとつタイミングごとに切り分け、ルーチン化できるものを2つのルーチンに分け、それぞれパートとアシスタントに担当させる。もともと営業が自分のペースで行っていた仕事をとりあげて、単純なルーチンを高速に回転させれば否応なしに営業は実力以上の成果をあげる。その結果、営業個人の実績はほとんど差がなくなってしまった。


目先のことに捕らわれて、凡人であろうと努力していたら、あるは、目先のことが器用にこなせたら、わたしの会社にこんな奇跡は起こらなかっただろう。
今では、地元では押しも押されぬ勝組としてマスコミに取り上げられるようになった。しかも、わたしの計画はまだ始まったばかりなのだ。4月からいよいよ、3年前から夢想していたプロジェクトが動き始める。


わたしのポリシーと呼べるものはたったひとつしかない。


それは『誰にでもできるようなことをむきになってやるな』である。


誰もやろうとしないことをやるか、誰にでもできるようなことを、あえて誰にもできないような仕組みに変えてしまうのだ。そこに大きなチャンスがある。


もちろん、誰もやろうとしないことを一人でやりつづけるには人並みのことをする以上の情熱が必要だ。誰でもやっていることをあえてイジるとたいへんな反発もある。
しかし、誰でもできることができないような人間は、案外誰もできないようなことはできるようにできているのだ。


人から見たらつまらないことにこだわり、その向こうでキラリと光る可能性を見落とさないことが大切だ。
こういうタイプの人間はどうしても、ポジション的に誰でもできることをやらされる若いころは、辛く惨めな生活が続くものだ。
世の中とはそういうふうにできている。


しかし、それが辛いからこそ、だれもが当り前と思ってやっていることにあえて疑問を持つことができるし、だれも手を出そうとしないことに勇気を持って進んでいけるのも事実なのだ。


新天地の広大な富は、貴族社会からはみ出したフロンティアだけのものである。