kido流簡単国家試験合格法

今日はあまり無駄な思考はしないことに決めた。
そこで、珍しく(とても珍しく)実用的な知識をみなさんに授けることに決めたのである。(おーぱちぱちぱち)

あまり、自慢でもないがわたしは国家資格をいくつか取得している。(微妙に自慢である)

しかも、それはこの資格があれば今日からあなたはプロです、という開業資格に値するものである。

だから、当然『ファイナンシャルプランナー』なんかより格上である。(自慢じゃない?)

しかも、ほとんど勉強したという自覚なしに取得したのである。

もちろん、この世の常というもので、勉強法というものには向き不向きというものがある。

従って、この勉強法にも、『向いている人』と、『向いている試験』がある。

まず、受験勉強や司法試験などのように広範囲のものには向いていない。

まぁ、頑張って応用すればそれなりのご利益はあるかもしれないが。

一番向いているのは、特定の業種などの認定試験や運転免許試験など、特定の範囲の中で知識を求めるものである。

また、次のタイプの人に向いている。

1.頭がいい
2.暗記物が苦手

次のタイプの人には向いていない。

1.バカ

説明不用であろう。バカはバカなんだから、仕方がないのだ。

そもそも国家資格というのは、誰でも持ってたら商売にならないから、バカにはあげないという資格なのだ。諦めよう。

ただし、「バカ」と「頭がいい」という条件もレベル設定が難しいだろう。この際「自称頭がいい」も向いている対象に含めようではないか。(大盤振る舞い)

国家試験といってもようはやる気の問題である。

だから、向き不向きがあるといいつつ、対応範囲はかなり広いのである。

このようにちょっと対象者に制約があるかのうように見せつつ、自分はラッキーなことに対象者じゃんか、という自覚をあたえ、より強い興味を持たせることは、リーダーズダイジェストなどのマーケット手法でもお馴染みであるが、こうやってその気にさせていくこともこの勉強方では重要なプロセスなのだ。

国家試験といってもようは思い込みの問題なのである。

さて、いよいよ本題に入る前に、やはりリアリティを増すための実例というものが必要である。その気にさせたところで一気に現実感をもたせ、本気にさせる手法である。

そこで、わたしの事例である。

この方法で、わたしはたったの一週間で国家資格を取得したのだ。

しかも、わたしが勉強で使ったテキストは、カッパブックスとかNOWノベルスなんかの、「これでとれる○○資格」とかいうたぐいのポケットに入るようなペランペランの本一冊きりであったのだ。

そして、試験場で××資格センターだの、▲▲大学だのの受験生が持ってきたテキストは、その5倍はありそうなテキストブックとぶ厚い六法ダイジェストであった。

正直、試験当日ライバルとのその勉強道具の差に「これは落ちるかも」と思ったものだが、案に反してわたしは一発合格してしまったのだ。

これは間違いなく、この勉強法のおかげ、これがなかったら、きっと不合格になってたに違いなく、わたしはこの勉強法と出会えてほんとによかったです!(なに本気になって実例してんだ)

さあ、徐々に雰囲気も高まったところで(いや、いつもの無駄な思考と同程度の乖離率を示していると思うが)、いよいよ勉強法の公開である。

これだけ雰囲気作りに(いつものごとく無駄に)手間をかけているのは、この勉強法も数ある勉強法と同じく、本気で信じ、一切迷わず突き進むことがとても、重要だからである。

例によっていかにも胡散臭い書き方になるが、それはこれを書くものの人格が下劣なのであって(実は本心受験生が受かるかどうかより、書いてておもしろければいい)、とにかく、信じて!これがあなたのため!

まず、なるたけ軽いテキストを目方で選ぶ。(いきなりこれか)
ここで間違っても分厚くて難解な言葉がでてくるやつや、わけのわからん語呂合わせで「覚えさそう」としているものはダメである。あくまでライトテイストで読みやすいものを選ぶ。

次に、問題集。同じ単元の問題ばかり入っているいわゆる類題と模試形式それぞれ一冊と過去の試験問題集(いわゆる過去問)を選ぶ。
問題集の選び方は、答えに力が入ってるやつ。一問一問丁寧に図入りカラーで解説してるやつ、過去問は安物でもいい。

さらに資金に余裕があれば、きちんとした解説本(大学のテキストに使われるやつ)や六法ダイジェストなども安心のために買っておいてもいい。

そして、まず軽いテキストを一単元分、読む。
最初のとっかかりだから、ここでいちいち言葉で悩んでしまってはもとも子もない。だからライトテイストなものでいいのだ。
大雑把に、概要を掴めばそれでいい。しかも読むのは一単元分だけ。

読み終わったら、さっそく類題をその日のうちにその単元分だけやる。
ここでは、解くのが重要なのではない、どうせ正解するはずがないのだ。
だから一問やっては「さてさて答えは?」と答えを見る。腑に落ちなければ、解説を読んでみる。それでも腑に落ちなければとりあえず、ほっとく。
そして次の問題。こうして一通り問題を解いてみる。
たぶん、10%も正解したらいい方であろう。

ペラペラテキストをざっと読んだだけなので、あたりまえである。

一通り終ったら、もう一度、最初から類題を解く。
こんどは前の答えを覚えているので、80%くらいは正解するだろう。
それからもう一度やる。
つまり、類題すべて100点とれるまでやるのだ。
そして、そのつど答えを見てちゃんと確かめる。
そうすると、いつのまにか、自分が答えを出した理由が明確になってくる。
いつのまにか、あいまいなものがきちんと根拠をもって答えられるようになってくる。たとえば、最近国家試験で多い4択なら、なぜこの選択肢が間違っているかまでわかった上で答えられるようになる。

そんな感じがつかめたら、その日は寝る。

こうやって、毎日一単元で(もちろん、一週間で合格したときはこんなスケジュールではとうてい無理だったので2日で問題集すべてを何往復も繰り返した)、類題集をすべてやりつくすと、ペラペラのテキストは読了である。

これが終ったら、模試を時間を計ってやってみる。

その時、できれば点数をなにかにつけておく。一冊の問題集を反復やっただけで、どれだけ点数がとれるか、とても不安になるから、これは時々に行い、着実に問題が解けるようになってきている過程をしっかりと認識するためだ。だから最初は低い点数でもあわてる必要は無い、そのうち必ず合格ラインの近くまで点数が取れるようになってくる。

模試や過去問はテストすることが目的なので、一度目はちゃんと時間を計ってやってみるのが重要だ。そして、答えをあわせたら、間違っていた部分はテキストや類題の解説などをその日のうちに読み返す。模試もその日のうちに100点取るまで繰り返す。

一回目の模試が終ったら、最初にもどってテキストざっと読み&類題100点とるまで繰り返し、をまた最初からやる。

今度は半分くらいの問題がはじめから解けるので、全体が終るには今までの半分の時間で済むはずである。そこで、一日2単元でどんどんやる。

それが終ったら、また模試である。模試は毎回違うものを時間を計ってやる。
同じ類題を解いているだけなのに、不思議な事に、3回目くらいから前回より確実に点数があがりはじめる。この方法で間違いがないと確信がもてるようになるのも重要だ。全体をなめるように勉強する方法だと、実際にすべてを勉強し終わるまで確信はもてないが、この方法だと、点数の伸び具合で早いうちに合格が見えてくる。

受験の日までこれを繰り返す。ただ、飽きるといけないので、単元数を数え試験日から逆算して、いつごろから勉強をはじめるか決めておいて、それまではまったく勉強する必要はない。

ラスト一週間で、過去問を一日一回古い年代からやる。
これも時間を計ってきちんとやる。

ラスト一週間では、かなりの高得点がとれているはずなので、間違った問題の類題だけ徹底的に繰り返しやっておく。

この勉強法で絶対やってはいけないのは、「調べる」ことである。

記憶は連想記憶が一番強い、という先入観がある。
しかも、なまじ「頭がいい」とうぬぼれている人間は、自分が理解できると思っているから、納得がいくまで調べようとする、これは間違い。

いわゆる、連想記憶は類題の解説程度の範囲でしかものを覚えられない。だから、分厚いテキストや六法ダイジェストなどでいくら調べても、ほとんどそれは一時的な納得で終ってしまい、脳の記憶状態は混乱したままであることが多いのだ。

そして、頭のいい人間ほど、実際のテストでは考えすぎが原因で「時間配分」や「ひっかけ問題」で混乱して、調べた知識などほとんど活用できない。

今の国家試験では一問につき1分以内で答えないと時間がなくなるようなものがほとんどだ。体系的に覚えた知識で、自分で考えて、正解することなど、ほとんど不可能なのだ。

では、なぜ、この勉強方法がいいのだろうか。

まず、最初でつまずかない。

初めての世界なので、専門用語だけのテキストを読んでも、どんな頭のいい人間にも意味はわからない。しかし、そのあと、むきになって理解しても、その理解そのものは試験でそのまま問われることはほとんどない。

つまり、無駄なのだ。

逆に、さっさと問題にとりくみ、その範囲の問題だけは解けるようにしていくと、要求される知識範囲は1/100くらい少なくてすむ。
しかも、問題のひっかけに対する経験がどんどんつまれ、問題を解くスピードが同時に養われる。

しかも、呻吟して理解し、そのうえ丸暗記するということをせず、ひたすら問題にチャレンジし、前回よりもいい点をとることだけを目標にするので、勉強しているという重苦しさがまったくない。

実際、けっこう楽しいのだ。

もし、類題にも模試にも出ない問題がでたら一巻の終りではないか、と、心配する人がいる。

それは杞憂だ。

そういう人の言い分は、

はじめて見る問題に出会ったとき、正しい答えを導き出すには正しい知識が、系統だって備わっていなければ無理という。

しかし、それが本当に正しければ、わたしが国家資格をいくつも持っている理由をどう説明するのだろうか?
一冊の問題集を繰り返しやっただけ、なのはまぎれもない事実だし、その問題集に出た問題は、ただの一問も実際の試験には出てこなかったのに、合格したのだ。

そもそも断片的な知識では、その知識が、全体のどこにどうなるのかわからないではないか、と思うだろう。

では、プログラマはあの分厚く専門用語だらけで難解なマニュアルすべてを理解しなければプログラムはかけないだろうか?

答えはNOである。

ほとんどのプログラマは『ポケットなんとか』というちんけな本一冊にみたない専門知識でプログラムを書いている。それは、プログラマごとに仕事の範囲が決まっているからで、最初から仕事の範囲がわかっていれば、そこだけ知っていれば全体は知らなくてもいいのだ。

系統だった正しい知識が幻想であることは、すべてのプログラマが知っている。

また、知識が備わっている人間が知識だけで100点とれるかというと、そうではない。
ほとんどの問題は、問題範囲が毎年同じなため、問われる知識よりひっかけが毎年発達する傾向にあるので、ひっかけになれていないと半分もとれないのだ。

どうせ100点とれないなら、楽な方からボトムアップしてレベルを上げていく方が、合格点は近いところにあるのだ。

これは、毎年同じ範囲から出題する出題者の立ち場から考えればよくわかる。

出題者は去年と同じもしくは去年より簡単な問題ばかりは出せないので、必ず新しいひっかけを入れてくる。しかし、要求される知識範囲を極端に変えることはできない。
なぜなら、資格試験なので実務で必要とされる知識の重要度にはじめから偏りがあるからだ。ありえないような事例を実務試験で出すわけにはいかない。知識範囲はかならず「ここからここ」という出題マニュアルの範囲でしか問題は作れない。
そんな出題者から見て嫌な相手はどっちだろう、全体を理解している人間か、問題を解く事に慣れている人間か。

やってるのがお役所だから、その点は「出題者に同情したくなるほどワンパターン」である。しかし、出題者に同情できるのは、その問題の傾向を掴んだ者だけで、知識を持っているものではない。

問題を繰り返しやることで、必要最低限の知識範囲だけを反復活用し、しっかりとイメージができているので、多少問題が変化しても対応できてしまうのだ。

実際、類題をやっていると、必要とされる知識範囲が教科書と比べて異常に偏っていることがすぐわかる。

毎年同じことを聞かれるが、聞き方が違っているだけなのだ。

全体をまるごと飲み込むような勉強を1年やるとすれば、この勉強方法でなら同じテストで同じ点をとるのに1ヶ月で十分である。

100点をとることではなく、試験に受かることが重要なのだ。

だから、勉強する単元も過去問についてくるおまけの出題傾向を見て、ほとんど出ていない部分はざっくり最初から捨てていい。捨てると決めたらそのページは絶対に開かない。

教科書20Pの範囲で5点とるのと5Pの範囲で5点とるのとどちらが楽か、答えは簡単なはずである。

確実に合格点の一歩手前までの点数は、確信をもった答えを書けるようにする。

あとの残りはペンを転がしても4問で1問は解ける。(4択の場合)

実際の業務でも、これらの知識がどれほどあるか、が仕事の成否を決めることは少ないし、わからなければそのつど調べればいいのだ。

大切なのは、試験の(あるいは仕事の)相手のペースにはまらず、その仕組みの本質を掴むことなのだ。