◎帰らぬ旅

ここに一つの扉がある。


扉を開け、中に入ればもう2度と戻れないかも知れない。


しかしそこには真理の箱があり、勇気をもって中に入った者だけがその中を見ることができる。


これはわたしが好きなドラマツルギーのひとつだ。


映画スタートレックにもこんな場面があった。


あの冷血漢のMrスポックが志願して、真理への帰らぬ旅へと旅立っていった。(彼は生きて戻ることができたが)


2001年宇宙の旅のラストにも同じような場面がある。(彼は帰ってこなかったようだ)


現実にはアポロ11号やスプートニク、またマーキュリーで未知へと挑んだ人々がいる。ライト兄弟もそうだ。アムンゼンもまた。


そして、初めて音速の壁を破った、チャック・イェーガーもその一人だ。
彼は、乗馬倶楽部で落馬して肋骨を折ったまま、ロケット飛行機X−1に搭乗して不気味に振動する飛行機を加速し続け、人類で初めて音速を超えた。マッハ2.4を超えた時には錐揉み状態に陥り、キャノピーをヘルメットで割ったがそれでも懲りず、垂直上昇テストで世界記録に挑んで失速し、脱出用ロケットブースターで顔に大火傷を負った。
(気になる人は映画『ライト・スタッフ』を見ることをお勧めする)


もし、未知の冒険のチャンスを与えられたとき、あなたならどうするだろうか?


わたしが聞いた限りでは、多くの男性が挑戦に挑むと言い、女性の多くは行かないと言った。
全体から見ると、冒険に挑戦すると答える人は男女含めて、ごく少ない。


もし、宇宙の彼方から人類を招待する招待状が届いて、自分が選ばれた時、帰りの手段がなにもなかったとしても、旅立つことを選択する人が必ずいる。


これは蛮勇だろうか?


あるいは、極めて自己満足的な行為だろうか?


テストパイロットやテストドライバーは命を対価に金を得ている特殊なプロフェッショナルだろうか?


わたしは決してそうは思わない。


なぜなら、人生そのものが、孤独な帰らじの旅だからだ。


人生で掴んだこと、そこで得た答えを体験者がどうやって人に伝えることができるだろうか?


それは、帰りの燃料を持たずに飛んだロケットからの無線通信やTV画像とどう違うというのだろうか?


誰一人として、人の体験をわかつことなどはできはしない。


人と寄り添い、助け合って生きることも、やはり自分たった一人の体験にすぎないのだ。


例え、恋人に自分のすべてを語って聞かせたとしても、体験したものとそうでないものの違いは、極めて大きい。


そして、恋人は自分さえ知らない自分の姿を見ているのだ。


この世のどこに孤独な冒険がない人生などあるだろうか?


平凡な生活を望んでも、そこには自分だけの体験があり、人は誰でも緩慢に命をかけて生きている。リスクを大きくとるのか、小さくとるのか、それは金融商品のカタログの上での違いでしかない。


所詮は、ジョーカーをひくまでカードをめくり続けるしか道はないのだ。


だからこそ、どんな人生であれ、勇気と誇りを持って、自分に与えられた冒険のチャンスに、目を閉じないで生きていくしかないのだ。


すべての人が、孤独な帰らじの旅人なのだ。