愚痴を聞かない男
男に、最初に愚痴を言って弱味をみせると男は目をキラキラさせてそれを聞く。
そして、自分に同情しつつ冷静で客観的な意見を言ってくれる。
この男ってすばらしいかも?
間違いである。
美人の奥さんと話していてこんな会話になった。
それは愚痴を言う友人(主婦)と旦那の話であった。
『でもなんで男ってこういう女の話が聞けないのかしら?』
『それはなぁ、男はすごく小さい時にいつまでも甘えるなと愚痴を言う事を禁じられるからだよ』
『そうなの?』
『ああ、男はねぇ。小学校に入るか入らないかというくらいで、泣き言を言う事をやめろといわれる。親に言われなくても兄弟や友達にそう言われる。みんな泣き虫を卒業して仲間になっていく。いつまでも泣き虫だと、仲間に入れてもらえない。痛くても悔しくても泣くと友達をがっかりさせる。そんなわけで、大人になると人前で泣き言をいう男はほとんどいない。だから、大人になってまだそれが卒業できない人の事が、理解できないんだろうな。こいつはなぜそれを卒業できないのかって不思議に思うだけさ』
人の弱味とはなんだろう。
弱味とは誰かに侵されたくない部分。
そういう意味でなら、わたしは弱味があまりない。
強いて言うなら子供たちくらいのもので、あとは何を失っても別に恐くない。
だから、大抵のことには屈しない。
万が一、誰かと利害が一致せず、相手の利害が残念な事に優先されたとしても、悔しい気持ちは表に出さない。
出して馬鹿をいっそう喜ばせるほどサービス精神が旺盛ではないからだ。
何かを欲しても、手に入るまではそれを決して人には見せない。
それが自分にとっての弱味になるからだ。
それを利用する相手がいるとかいないとかという次元の問題ではない。
なにかをおくびもなく欲する自分を認めることは、自分にとって弱味なのだ。
それを絶対の秘密にしつづけることは、逆に自分にとって強味となる。
ついでに怒りも表さない。
わたしを怒らせた者に、そのことを知らせてやる必要は無い。
その程度の事で怒らせることのできる相手だと気づかせてやることはないのだ。
ほんとうに心を許せるものだけには、いつかどこかですべてを見せるかもしれないが、もちろん、相手にとってそれが喜びであるとすればの話だ。
そういう相手はそれほどいない。
・・・・・・・・・ほとんどの男はこのように考えている。
しかし、女性だってだれ彼かまわず愚痴を言っているわけではない。
特に、男性に愚痴を言うには勇気がいる。
それは男の感じる仲間をがっかりさせるという意味ではなく、自分のイメージを変えやしないかという心配ではあるが。
そこで、相手の女性に愚痴をはじめて聞かされたとき、男は人のこころの非常に奥深くに触れたような気がする。
とても神秘的で、そして話してもらえたことを嬉しく思うのだ。
最初だけは。
ここから、男と女の意識はずれていく。
女は愚痴を感動して聞いてくれる男に、これでもかと愚痴り倒す。
男はもう聞いてはいない。相手が『単なる卒業前』だと気がつくと、神秘さもウキウキ感もなく、ただひたすら『いつ卒業するのか』と観察しているだけでなにも聞いちゃいないのだ。
しかも、つきあえばつきあうほど愚痴の対象が自分だったりする。
女性はパラレルシンキングしているのかもしれないが、シングルタスクな男にとって自分のことを対象にした愚痴をいわれると『喧嘩売ってる』としか思えないのだ。
そこで愚痴の内容ではなく、なぜこのオンナは自分に喧嘩を売るのかと考えてしまうのだ。
なぜ喧嘩を売るような相手とつきあっているのかと。