ファインチューニング人生編
会社のチューニングは数字で管理できる点ある意味ラクである。
しかし、それが実生活となるとなかなかつかみ所がなくて面倒である。
わたしは会社のしくみをイメージするときよくIN−OUTモデルという単純なモデルに置き換える。
例えば金銭のIN−金銭のOUTモデル、部品のIN−商品のOUTモデル、情報のIN−情報のOUTモデルなどである。中でどうなっているか、はとりあえず置いておいて、どれだけ入って、どれだけ出るか、そのルートや倍率は適正かなどを考えていく。
あるいは、何が入って何がでるか、その結果が正しいかを考える。
客の要求IN−会社のサービスOUTモデルなどもよく考える。
きちんとIN−OUTモデルで考えると、会社にとってつごうがいいサービスなどという考え方は存在しないことがよくわかる。それでも、客の要望に対して手前勝手な解釈をしがちな会社は数多い。客が『こうして欲しい』という要求を出したとき、それが無茶な話のときには『丁寧な説明』をしたがる会社も多い。
実際には、客の『こうして欲しい』という要求の原因が何であるのか、どうすればそういうINがなくなるかを考えれば済む場合が多い。
IN−OUTモデルで考えると、OUTでINに対処することはできないことがわかる。
というより、それがIN−OUTモデルの考え方の原則なのだ。
ごくごく簡単なモデリングが頭の中にできていないから、後からなにかしようとなってしまうのだ。これはモデリングを繰り返すとあきれるほどいろいろ出てくる。
会社とは応答系であって、そとの環境に対して適切に応答することが重要だ。
理想的なIN−OUTモデルを先に想定して、応答する会社の中身のチューニングを行う。なにがINしたとき、なにがOUTするのが理想なのか、ということである。
実生活でのIN−OUTモデルも金銭や労働力や物質などで構築することができるが、生活の質を決定するものは気持ちである。
したがって、気持ちのIN−OUTモデルを考える。
例えば、悪意のIN-悪意のOUTモデル。
困った人の相談に乗りながら、自分も落ち込むとすればそれは、落ち込みIN−落ち込みOUTモデルになる。
理想的なOUTは、励ましかもしれないが、INを抑制できないか考えた方がいい場合も多い。励ましは心理的にコストがかかるからだ。
ほっとくと落ち込む人は、落ち込む前にこちらからかまってあげるというのも手段である。
IN−OUTモデルのルールで考えるなら、入ってくるものが適切でないなら、入れないように努力しなければならない。
悪い感情IN→自分→なんらかの感情OUTというモデルで、OUT側のなんらかの感情は最初の悪い感情INに応答しているだけである。
どんなOUTにせよ、時間を遡って悪い感情INを抑制することはほとんどないということを理解しなければならない。ここが一番重要なところだ。
IN−OUTモデルは単純な一方通行のモデルなのだ。
だから、もっとも単純に基本に帰った考え方を強制する。
何かが一回入ったら、なにかが出て、それはもうそこで終わりなのだ。
IN−OUTモデルの基本は内部の『自分』ではなく、客観的なINとOUTを見ろということに他ならない。
理想的なIN−OUTモデルを考える事はそれでもまだたやすいが、そのように応答するために内部をファインチューニングするとなるとこれがまた難しい。
応答系で一番簡単なのはバンバン制御という制御方法である。
これは O か 100 かしか応答しない。
例えば、何かが入ってきたとき、出していいものならば100出してしまう。
出していけないものは何もださない。
コンピュータで何かを制御するときはバンバン制御を基本にする。
アクセルを全開にするか全閉にするかで基本的な制御法を構築し、中間的なアクセル制御は行わない方が(乗り心地は悪いが)単純で優れている場合が多い。
レーサードライバーもバンバン制御ができなければ、それ以上の高度なテクニックは何一つ習得できない。思い切り踏み、限界一歩手前まで踏みつづけるのが基本なのだ。
制御しながら微妙に応答しようとすると失敗するので、そういうときはバンバン制御がラクである。
嬉しければその気持ちを100出し、腹が立ったら一切出さない。
難しいようだが、制御という意味ではこれが一番簡単なのだ。
ところが、多くの人は腹が立ったときそれをなんとか出そうとする。
あるいは微妙な加減で出すことがカッコイイと思っている人もいる。
簡単なはずのバンバン制御ができないで、微妙な加減などできるはずもないのだ。
制御はバンバン制御にまかせてしまって、そしてそれ以上は制御について考えず、基本となるIN−OUTモデル、つまり応答系の中身ではなく、INとOUTの環境に問題と解決を求めたほうがたやすいのだ。