○信じるばかりじゃ救われない

肩書きが災いして、週に何度か、無担保の事業用資金の貸し出しだの、先物取引だの、維持費が安くなるコピー機の話だの、電話代が安くなる契約方法だのの勧誘がある。「要りません」と断言してもなかなか懲りてくれない。「プーヤウ」と中国語で断っても知らん顔である。


年に数回はいわゆる憂国の士の人から、天皇陛下の写真集だの、北方領土返還運動の歴史だの、北朝鮮拉致問題の暴露本だのの勧誘が来る。


国の憂い方もさまざまだと思うが、こういう本がめったやたらに並んでいる社長室をみたことがある。さぞかし、株主総会は平穏なことだろうと思う。
もちろん、わたしはあまり国を憂いていないので、こういう人たちにお小遣いをあげる気にはならない。


政治家も使ったことがないので、地区の自民党議員のポスターを事務所に貼らせたこともない。そのかわりいい仕事をしたら必ず一票入れてやる。


商売柄、数年に1度くらい、いわゆる任侠の人から恐喝されたりする。


同業者では癒着もある任侠業界だが、うちは一切そんなことはない。


最近はとんとそんなこともなくなったと思っていたら、いつの間にかうちの新人がコッソリやられていたらしい。


向こうも賢くなってきた。
対会社だと対策もできてきたので、何も知らない新人の一本釣でコッソリ個人を恐喝するのか、と、相手の営業努力に多少の感動を覚えた。


さっそく、所轄の生活課に該当人物を尋ねると、いわゆる元任侠のやんちゃ坊主で殺人未遂一犯、なんと、肩書きはカタギだそうである。いやな世の中だ。


聞くとうちの新人にも多少ミスはあったらしい、ただ、そのミスからこんな被害に発展したという相手のストーリーは子供の作り話のようなもの。
どうも向こうも世間ズレしてないせいで落とし前のつけ方を知らなかっただけ、のような雰囲気である。うちの新人もシロウトなら相手もシロウトかよ。
話を聞いているうちに情けない気持ちになってきた。


「そっか、君はこの手の経験あったっけ?」
「いや、初めてです」
「まぁ、誰にでも初めてってことはあるよ」
「はぁ」
「まぁ、経験だから嫌になるまでやってみるか?おれなんか8時間監禁されたことあるよ」
「しかし、こんなことに煩わされるよりもっと仕事したいので」
「怖い?」
「いや、恐くはないですけど」
「まぁ、嫌ならいつでも代わってあげるからさ。経験は積んどけよ」


そんなことを言ったもんだから、やつは専務に泣きついたらしい。
専務も若干38歳なんだけどなぁ。(わたしだって若干39歳ですが)
専務はさっさと弁護士に言いつけて、内容証明を送って、それからこっちのミスを詫びたそうである。低額訴訟でもしてくれれば示談するつもりだったけど、どうも相手もバカバカしくなったらしい。


世間にはいろいろな職業がある。


それは時に邪魔で疎ましいこともある。


だが、得てして悪いやつは『悪い』という点で信用できる。


冗談ではなく、ほんとうの話だ。


相手が悪いやつだとわかっていれば、相手の目的と次の手を考えて、利害が一致する間は商売だって成立する。大抵は、その後でウマイ話など持って来てくれて、気がついたら法律の枠をちょこっとはみ出してて、いつのまにか抜き差しならない状態になってしまうことになるので、法律の枠の手前でケツをまくれば問題ない。
街宣車が乗りつけてくるような美味しいネタはもちろん社内のどこにも存在しない。欲の皮をつっぱらせなければ、馬鹿に付け入られることなどないのだ。


怖いのは、次になにをしでかすかわからない善人である。


善意で何かをやらかそうとしたり、必死に知恵を絞って世の中を渡ろうとするのはいいが、どこか考えの足りない善人ほどタチの悪いものはない。


相手は騙すつもりも、嵌めるつもりもないのだが、こちらはすっかり立場を失うことになる。しかも、相手にも害が発生すればこれはどう考えてもこちらが悪者になってしまう。


こちらを疑ってかかった人が、勝手に転んだ時はほっておいても自分で立ち上がる。


自分を信用した人が目の前で勝手に転ぶと、気まずいだけではすまされない。


相手の信用を勝ち得るということは、その分間違いなく責任が重くなるのだ。


社員教育で一番大切なのは、善意の人の不注意に気をつけろ、ということだ。


なんでも聞き分けがいい相手ほど、要注意なのだ。