タオ オブ ザ ワールド

 古代中国の哲学者たちは道(タオ)という統一真理を信じていました。タオないし道の哲学者らは、世界は静的な要素ではなく動的なプロセスであることを強調しました。世界を作るのは、これら動的プロセスの反映であり、流であり、絶えず変化し続けるものだとしました。私たちが把握できるのは、そのほんのかけらのほんの一瞬だけなのです。


これはGray Entsmingerの『Tao Of Objects』に何度も引用される言葉である。
タオ オブ オブジェクトという本は、オブジェクト指向という現在主流のコンピュータプログラミングスタイルを説く本である。


本体プログラムとは、世界(の一部)をモデル化する手段である。


プログラムは基本的にものごとの仕組みの一端を切り出すことだから、静的であることが必要だった。


しかし、世の中が変化するので、プログラムも変化しなければならなくなった。
あるいは、同じことの繰り返しを防ぐ必要があった。


例えば、『住所録』というデータベースがある。


データ要素は氏名や所在地、電話番号など。
もし、住所録だけを作るならなんの工夫も必要がない。


しかし、住所録とカルテは似ている部分もある。


将来カルテシステムも作る必要があるかもしれない。あるいは、名刺管理ソフトかも知れない。そういう場合、住所録の構造やタックシールを印字する機能をもう一度一から作るのは馬鹿げている。それで、住所録という基本データ構造からカルテという子供のデータ構造を作成する手法を使う。カルテはすでに住所録のすべての機能を持ちつつ、医療履歴の機能を付け加えることができる。


これがオブジェクト化ということだ。


真髄は、この世のすべての事象変化は単純なオブジェクトのインスタンス(派生型)で表現できるということだ。


ところで、カルテシステムから住所録は作れるだろうか?


作れないことはないだろうが、カルテシステムが持つ医療履歴の機能や保険点数の計算機能などはまったく使わず、患者の住所を記録する部分だけを住所録として派生させるのはいかにも無駄である。


やれないことはないだろうが、オブジェクト指向という哲学にはそむいている。


複雑なものは単純なものからなり、単純なものは複雑なものからは生まれない。という世界観が根底に必要となる。


複雑系というものの見方も同じで、非常に単純なルールの集合がとてつもなく複雑で美しいものを生み出すことを説いている。


小泉政権が相変らずの窮地である。
そもそも行政改革のために作られた政権が経済対策はことごとく裏目に出ている。


ように、見えている。


わたしは、政権が経済に与える影響などたかが知れている、と思っている。


政策で大きな変化を起こそうとすると、偶発的にも見える小さな変化に影響されて変化の目的をそれたところへ変化が発展していくし、小さな変化を起こそうとすると、偶発的に見える大きな変化に飲み込まれてしまう。


例えば、究極の民主主義がシステム化されて、日本国民のすべての人の要求がデータ化され、均一に施行されるように予算配分をしたら、きっとそれは政策とよべないものになるだろう。それはすべての人の好きな味を人数比で混合したらとてつもない味のものになってしまうのに似ている。


売りと買いが均衡しているマーケットで、どちらかの利害を優先しようとするとシステムそのものが機能しなくなる。


今から50年から20年までの過去、われわれはあまりに多くの夢を買いすぎた。


買ったものは、夢そのものだった。


しかも、それを所得以上に買いすぎた。


だから、いま夢を見ることは許されず、買いすぎた夢を売りながら生きなければならない。


今、を考えればそれは苦渋の時代かも知れないが、50年をトータルすればそれは収支0である。


商品相場に先物が登場したのは100年も昔のことである。


それ以前の経済では時間軸を無視してどの時点でも収支があっていた。誰かが虐げられれば、誰かが不当に潤っていた。だから民衆は敵をみつけることができた。


しかし今は、いつの誰かが貧しければ、いつの誰かが豊かになるだけで、時間をとめた静的な収支では必ずしも富は一定ではない。必ずしも収支があっていないのだ。豊かといっているものは、信用取引のチャンスを持っているだけだ。その信用取引が最後にいくらになるかは、誰にもわからない。だから民衆はたまたまいま富んでいるだけでそれを敵とみなせなくなってしまった。


いまの世界は、時間軸の果てから果てまでで収支が0なのである。


まさにこの世はタオである。


そこで、日本に富かさをとりもどすという『政策』が『今』行われることにどんな意義があるだろうか?


日本がダメだとすべての国民が本気で思うなら、よってたかってあらゆる国内の先物をみんなで『売り』浴びせればいい。日経平均が1/10になるまで空売りすれば、すべての国民の富は10倍になる。


そして、すべての上場企業はその分を含み損として地上から消えてしまうだろう。豊かになった国民が手に入れた資金を投資をする場所はなくなってしまう。


日本が豊かになるとは、働ける人に働く場所がある、ということである。


働くためには資金が必要で、国民が金を出さないなら、国外から調達するしかないし、それが国債を発行するということである。


国民から金を無理やり引き出すことができない国民選出の政治家がやれるのはせいぜいその程度のこと。あるいは、すべての企業を消し去る前に、消えるべき企業を消して投資先を明確にする程度のこと。


買った夢の清算をしなければならないのは、政治家ではなく、われわれなのだ。