リスクを取れ!

最近のリスク意識ってのには時々嘆息させられる。


例えばアリコ。


たった一日の入院で保険が下りるとホントに嬉しいのか?


保険というのはそもそも、自分自身のキャパを超えた災難に見舞われたとき、それを救済するためのもので、災難に見舞われなかったとしたらそれは、まったくの捨て金になるものだ。
つまり、自分の災難をネタにギャンブルしているのと同じだし、胴元は絶対負けないオッズでしか開帳していないギャンブルだ。


だから当然、オプションに一日入院でも給付金が出るということになれば、その可能性にもなにがしかベットしていることになる。
もちろん、その賭けは一定期間に入院しなければ負ける賭けである。


そんなに入院したいのか?


あるいは入院したときに「アリコに入っててよかった!」と大声で叫びたいのか?


あるいは、自損事故で免責が4万円で等級も下がるのに10万程度の板金代を保険会社に請求したり。あげくにカードのオマケにもついてる医療保険でらくらくカバーできるのに自分の怪我まで自動車保険を使おうとする。
オプションつけといてよかったと言いながら。


そんなに保険会社を儲けさせたいのか?


死亡保険も多額にかけることが多いようだが、きちんと年金に加入していれば遺族年金でおよそ15万円くらいの月収は確保できる。
自宅をローン付きで所有していると、死亡と同時にローン付帯の生命保険で自宅のローンはチャラになる。
スミカが確保できて月収が15万円あれば、あとはなんとかパートで食いつなぐくらいのことはできるので、学費や結婚資金のために3000万円も保険がかけてあれば御の字であろう。
それ以上あっても、ヘタな投機に手を出してパーにするか、苦労もせずダレた生涯を送るだけなので残してやる必要はない。


世の中には自分の「運が悪かった」ことをどうしても認めようとしない風潮がある。
なぜなら、それが「努力やそれを積み上げたいままでの人生となんの関わりもない」からで、がんばれば報われるという教育に晒されてきた脳みそには受け入れがたい事実だからだ。


例えば、わたしは200万円程度の手術代や交通事故の補償は現金でできるし、子供の難病の手術代なら2000万円のローンを組むくらいの信用余力はある。
であれば、わたしはそういう事態になればそのようにするだけだ。
自力をつける。それが「運」に対する最大の備えというものだ。


もちろん、自分の大病で家族に迷惑をかけないための保険。
子供の大病のために2千万以上の大金が必要となったとき。
未来のあるひとを轢き飛ばしてアボーンしたとき。
そんな時のための保険はかけてある。
もちろん確率は何億分の一かもしれないが、自宅に地震保険もかけてある。


これは、その事態に陥ったとき、自力ではカバーしきれないからである。


リスクを取って生きるということは、ギャンブルではない。
それはスリムで無駄がないというだけでなく、ありとあらゆるちっぽけな保険に金を賭けることが本質的にギャンブルであり、しかもその方が(保険を掛けないよりも)遥かに「負ける率が高い」のだ。
確率が数百分の一のたかだか1万円の給付金のために、毎日100円とかを着実に地道にどぶに捨てる人の気が知れない。(しかも、こういう商品に限って60日を越えるような本気で心配な入院費は出ない)


これが「リスク」をとらない生活のための代償である。


まぁ、わたしが必要とするシンプルな掛捨て保険をリーズナブルに購入できるのは、こういうちっぽけな保険に無駄金を掛けてくださる人々のおかげではあるのだが。