関係について語り合う関係

人と話していてフト、これは時間の無駄じゃないかな?と思える瞬間がある。

ついこの間もそんなことがあって、それはまさに、互いの関係について語り合っていたときであった。


この違和感はなんだろう?


人が二人いて会話が成立していれば「わたしたちって・・・」という話題が必ず成り立つはずである。
それはある意味で適当なヒマネタかも知れないし、場合によっては重要な話題でもあるだろう。
しかし、この二人がえんえん「わたしたちって・・・」という話題だけに収支していたとしたら、それは「わたしたちって無駄な関係だよね」ってことなのだ。

しかし、なぜそこにこれほど違和感を覚えるようになったのだろうか?
なんだか最近そうなったような気がするのだ。


そして、突然思いついたのだ。

リンクサイトのランキングナンバーワンサイトが「リンクサイト」、そこのお奨めサイトが「リンクサイト」

成人用リンクサイトの「あり地獄構造」に落ちたひとなら誰しも経験があるだろう。

どこまで行ってもリンクリンクリンク、で、結局なにがしたかったかさっぱりわからなくなる不毛な日常。
もうかなり、食傷気味なのである。


そして最近のWEBLOGブームである。

ついこのあいだHatenaに引っ越してきてこういうのもなんだが、なんでこんなにリンクする必要があるんだろう?と思わざるを得ないHPをたまに、ほぼ毎日、いや、ほとんどいつも目にする。

個人サイトなどをよくよく観察してみると、相互リンクで「某氏からのリクエストで・・・・」なんて書き出しがあるとやっぱり某氏のサイトも見てしまうのだが、それがまた「例によって某氏曰く・・・」となって、どこまで遡っても見たいと思うツボが見えてこない。
もちろん、サイトをやる以上見て欲しいというのはよくわかる。
そして、注視してくれる人に格段の注意が向いてしまうのもよくわかる。
しかし、中身がさっぱりないエロサイトのランキングサイト並みの「ただリンクだけ」に「相互に陥っている関係」というのがあまりに多すぎる。
そして、そんなエロリンクサイト並みのサイト運営が、そもそも「なにが見て欲しかったのか」という根本の部分をいつのまにかスポイルしてしまうのだ。

出会い系という言葉が社会悪のように言われるが、ネット上でのこのような出会いもやっぱり社会悪なんじゃないだろうか?
まぁしょせん、ひとは出会いだけが生きる目的なのかのしれないが。

このような「関係について語り合うだけの関係」というのは、PTAの集まりでも、自治会でも、友人間でも、仕事場でも見られるが、いつの間にかその集まりの目的そのものが「関係について語り合う」ことに摩り替わってしまうことも往々にしてある。
そもそも近所付き合いだの仕事上の付き合いだの、「今の若いもの」がそういうものを嫌うのはそういう不合理性、非生産性にあるのではなかったのか?


そういうところから「ケツをまくって」おいて、なぜWEB上では盛大に同じことをはじめなければならないのか?