○頭のいいヒトが好きなのに惚れるのはいつもバカ

似たようなのに、好きな服と似合う服は別、という現象もある。


かわいそうに、必死で服を選んでもことごとく裏目に出るタイプである。


恋愛などの人間関係にもこれはあてはまるのだろうか?


まず「好きな服と似合う服は別」という例から考えてみよう。


たぶん、こういう人は好きな服を選んで試着してみたりしているときも、フィッティングルームで鏡を見ながら「服」しか見ていないのではないか。そんな気がする。


ある店員から聞いたが、あきらかに11号なのに、「わたし9号が着れるの」と自慢げに言いながら、無理無理9号を着ようとする人がかなり多いらしい。チャックはゴリゴリ音がし、ホックは今にもはち切れそうで店員としては心臓に悪いそうである。そして何度「11号もございますが」と言おうが、なぜかその声は届くことがなく、チャックをゴリゴリ押し上げる手を休めようとしない。その人にとっては「9号が着れる」という満足感は、体型に合った服を買うより優先されるのだ。
どう見ても、Aカップなのに、前屈みになって脇から背中から肉を集めて無理無理Cカップを購入する人もいるらしい。フィッターに言わせればAカップであればAカップを購入して、そういう姿勢で着た方が美しく盛り上がるものなのだそうだ。無理に集めてカップサイズを上げすぎると、動いている間に肉が逃げるか、逃げないようにきつめにホックを調整するので背中の一部がひどくへこむ。背中の不気味なへこみや、異常に真ん中に寄りすぎたムネってのは、多くの男性も見て見ぬふりをしているが、実は気づいている。


とにかくだ、全体像を見ず、自分の好きなものしか見ようとしないで購入を決定してしまうことは往々にしてある。


それはなにがそうさせているのか、要するに目的が違うのである。


そういう人は「理想の女性像に似合う服」「理想の女性像の服のサイズ」「理想の女性像のカップ」を購入したいのであって、自分に合っているかどうか、は別なのである。


逆に言えば、「自分に似合うか」を考えてしまうと、どんな服も「情けなくて買えない、買いたくない」のである。


つまり、自分への深い失望がここにある。


ここには「自分を高める服の選び方」という理想的な発想へ行き着けない深い溝があるようだ。一足飛びに「理想とする服」へ到達してしまうのは、「自分」という主語がその人に存在しないからである。


これを先の人間関係にあてはめてみよう。


「相性がいいのと惚れるのは別」ということがあったりする。
それはなぜなのか。
こういうギャップがなかなか男女関係がうまくいかない原因なんだろうか、などと時々考えたりする。


しかも相性がいいタイプと惚れるタイプはいつも同じタイプで、相性がいいタイプとはなぜかいつも恋愛関係に発展しない。
結局、それが恋愛関係に発展しないから、逆説的に恋愛関係に発展するのは「相性がいいヒト」ではない人、とならざるを得ない。


こういうタイプは結婚において幸せになりにくいのかも知れない。


少なくとも、相性がいいひとと恋愛関係に発展するヒトとは比べるべくもないだろう。


自分と相性のいい相手に惚れないのは、自分に自信がなく、自分が欠落しているからであろうか?


いや、もしそうなら「自分と合う」を飛び越えていきなり「理想とする相手」に手を出すべきで、なぜ別のタイプに惚れてしまうのか、なぜ理想とするタイプとはいつも恋愛関係にならないのか。


これを強引に「自分への深い失望」と結びつけても、答えはみつからないような気がする。


と考えていたら某氏曰く。


「相性がいい相手でも、自分に惚れてるっていう態度はどっか間が抜けてかわいいハズ。それが相手の印象を例えばちょっとバカっぽいと変えてしまうだけ」


これで説明ができるケースも多い。


しかし、彼の説では「相性がいいと今の関係を大切にするあまり恋愛対象候補として未確定な緊張した関係になるのを本能的に避ける」いわゆる『好き避け』原理の説明が不完全のように思える。


相性のいい人ほど、「好き避け」に陥りやすいというのはありそうである。その根底には「振られたらもとの関係のままつきあえない」という自分の都合が優先している。
振った方こそいい迷惑である。よけいに気を遣うのはこっちだ。振ったあとも一生懸命ケアしようとすることが多い。なのに振られた方は勝手にノックダウンして自分から消えて行ってしまう。


「振られたあとも自然につきあう自分」が最初の前提から欠落しているからこその「好き避け」なのである。


これは「自分への深い失望」よりもタチが悪い。


服の場合は「金」という強権が発動できるのでひとはいつでも、一足飛びへの欲望に駆られる危険がある。しかし、そのおかげで構図は単純である。


人間関係は相手という不確定要素のために強権発動ができない。
一足飛びに欲望に駆られることができないので、幾度もチャンスを逃して躊躇するうちに、







結果として、「自分に惚れるひと」に惚れてしまうのだ。



服で例えるなら、一足飛びの理想や自分に似合う服以前の問題として金がなく、しかも金を得るのに不確定な運に頼らねばならないとき、ウィンドーショッピングやカタログで空しく妄想にふけっているとき、






結果として、「思いがけず人からプレゼントされた物」に思わぬ愛着を感じてしまうのと同じ・・・




なのかも知れない。


なんか怖い。