○パッケージング
パッケージング、という言葉がある。
多くの場合、それは商品の包装を意味し、また多くの場合、それは商品の組み合わせやロットを意味し、また多くの場合、それは商品の機能の組み合わせを意味し、また多くの場合、それは商品の販売戦略を意味する。
用法が多いがそのどれも「パッケージング」という言葉で表される。
新商品に見えるものでも、単にパッケージングが変わっただけ、というのはよくある。
新開発のビールを売り出してみたがさっぱり売れなかった。しかしそれに「○○物語」と名づけて季節限定で売り出したら売れた、というように。パッケージングの成功話は探せばいくらでも出てくる。
なにやら、まやかしめいて聞こえるかも知れないが、実際のところ、パッケージングは商品開発でも大きな位置を占めている。
しかも、パッケージングは単なるまやかしではない。
例えば、ここに管理工学では有名かつ実績のある問題解決の手法があるとしよう。
しかし、「カイゼン」とか「5つのなぜ」という用語をそのまま使っていては給料をもらえる職場ならともかく、その他の方面でうまく使えないのは感覚として理解できる。実際にはどんなことにも応用ができるはずなのに、である。
仮に、それがボランティア活動やダイエットに有効だとしても、あなたは「カイゼン」を信じ、迷わず行動できるだろうか?
ところが、ここに「公認ダイエットインストラクター」や「最新ダイエット法」というパッケージングを加えたらどうだろうか?
やっていることは、「カイゼン」と「5つのなぜ」に過ぎないのだが、決してその言葉は出てこない。その代わりに「美への着実なステップ」とか「ダイエットが失敗する原因の究明」とかと言われたらどうだろう。
あるいは、心理カウンセリングが「聖魂占い」というパッケージングだったらどうだろうか?タロット占いや占星術よりも効果は少ないだろうか?
この例え話が適切だったかどうかはわたしのパッケージング能力に由来するのだが、すぐれたパッケージングが一つの発明にも匹敵する力を持っているのは事実だ。いや、たった一つの発明を100も1000もバリエーションを増やしてしまうのが、パッケージングの威力なのである。
パッケージングが存在する理由、パッケージングが大きな力を持つ理由は、人に感情があるからだ。
そして、人は気に入るものは理解し受け入れることができるが、気に入らないものは理解できないし受け入れられない、という性質を持っている。
また、汎用的な機能は、限定された用途にとって使いづらい、という工学上の法則もある。
パソコンにN88BASICというプログラミング言語だけがついていた時代と、ありとあらゆる専用ソフトが付属する今でもパソコンの基本的な動作には変わりはない。パソコンを動かすために必要な命令言語とパソコンを動かしたい人間との間に、ありとあらゆる「パッケージング」が存在するだけだ。
人がなにかの事象を「わかりやすく説明」するとき、そのすべてがパッケージングだとも言える。
ある意味で、もはや人は「パッケージング」に触れずになにかに直接触れることはほとんどできない。
こうやって意識してみると、この世の中はうんざりするほどパッケージングにあふれていることに気付く。
それは好むと好まざるとに関わらず、われわれの世界全体を覆っている。
ものごとの本質を見抜く洞察力、という言葉がよく説得力をもって語られるが、その本質を隠すすべてのもの、それゆえ本質以上に大きく人に関わっているもの、それこそ、パッケーンジングなのである。
だからなにかを「思いつく」、そのあとには「適切なパッケージングを考える」ことができるかどうかが重要だ。
例えなにも思いつかなくても、パッケージングでどうにかなってしまう場合すらある。
大量虐殺すらパッケージングしだいで崇高な行為になってしまう。
パッケージングを意識し、パッケージングを見抜き、そして自らパッケージングを使いこなすこと。
それはパッケージングを意識しない今までとはまったく違う、世の中の法則のカギ、人生の強力な道具を手に入れることなのだ。