◎ウサギとカメ

昔NHKでやっていた話がある。
わたしは比較的NHKは見る方だ(いや確固たる自信はない)が、この話はNHKが授けてくれた啓示の中でもベスト3に入るだろう。
これに近い話は世間にごまんとあり、かなり適応できる心理テストだと思う。(もちろん、わたしはこの心理テストで人を評価する)


ウサギとカメがいる。
カメがウサギに勝つにはどうしたらいいか?


具体的な部分は覚えていないが、適当に補完すると


カメにロケットをつける。
カメに車輪とターボをつける。
大砲でカメを発射する。
時間を止める。


など、非現実で荒唐無稽な答えはいくつでもあるがそれを馬鹿にしてはいけない、核心はここだ。


「一生懸命努力する」


と答えたヤツはろくでなしだ(もちろんNHK的な表現ではない)、ということなのだ。
これは問題を精神性に転嫁することによって、がんばってるようだが実は思考停止しているだけ、なのだそうである。


いくら非現実的荒唐無稽な答えでも、思考停止をせず対処法を考えようとしただけマシだというのだ。
また、一見非現実的な答えに見えて、よくよく考えてみるとそれは実現可能性がないわけではないこともあったりする。一生懸命努力するとは、まさにこれを克服することでなければならないのだ。


番組のウサギとカメの話はここまでだったが、わたしはさらに考えてみた。


そもそも、カメは勝ったのではないか?


もしも、カメがウサギの属性を見抜き、ウサギはカメに比べて圧倒的に早いが大量にエネルギーを消耗するとゴール手前で休息を取らざるを得なくなることを知っていて、自分の歩行スピードで十分勝つことができると判断していたのなら?


そこで、今度はウサギの立場で考える。


ウサギはカメよりも早い。
しかも、現実的に考えればゴール手前でカメに追いつかれるほど激しく消耗することもない。
ウサギがカメに負けた原因はただひとつ、慢心、である。


とするならば、実は「一生懸命がんばる」必要があったのはウサギだったのだ。
この教訓話の核心は、カメが努力すれば必ずウサギに勝てる、ではなく、ウサギも努力しなければカメに「さえ」負ける、ということなのだ。そして、資質にすぐれたウサギがさらにがんばればカメに負けることはないのだ。ただし、相手がロケット推進でないことをよく見極めなければならない。


もし、あなたやあなたの会社がライバルにとって「ウサギ」であるなら、「一生懸命がんばる」ことは大切だ。
もし、あなたやあなたの会社が「カメ」であるなら、「一生懸命がんばる」前にもっと考えなければならない。相手はウサギであり、さらに、相手は一生懸命がんばるウサギだと仮定しなければならない。
もしも、考えることをせずウサギに「あの丘まで競争しよう」と持ちかけられたら、「うん、いいよ」と言った時点でカメの負けなのである。


「ライト・スタッフ」という映画がある。そもそもThe Right Stuff(直訳:正しい資質)とはなにかを問うのがこの映画の主題である。
それは戦闘機パイロットたちだけの隠語で「このことは誰も詳しく説明しようとしない」と映画の中でも語られる。が、やがてマーキュリー計画に選抜されたジョン・グレンが記者会見で「才能に恵まれたものは、それを100%生かすことが神に与えられた使命です。わたしたちがそれを正しく使ったとき、その先の道は神が開いてくれるのです」と語る。


わたしは時々、アメリカのアポロ計画が人類史の頂点だったのではないかと思うことがある。風の谷のナウシカで宇宙船の残骸を「うそかほんとか知らねぇが、昔はあれで星まで行ったって話だ」という台詞が登場する。公開当時あまりに荒廃した末世的未来観にぞっとすると同時に、それを啓示だと感じた者は多かったろう。実際、われわれはケープカナベラルのケネディスペースセンターに横たわる巨大なサターンロケットを見上げて「嘘かほんとか知らねぇが昔はあれで月まで行ったって話だ」と感慨するしかないのである。人類が月まで行ったことをリアルタイムで知らない子供がすでに子をもうける時代になったのだ。


話が横道にそれたが、人がその才能を100%生かしたとき、人類は(あるいは個人は)進歩の頂点をさらに一歩進めることができるのだ、ということが「ライト・スタッフ」の主題だったと思う。


そして、そこには命を懸けて挑む価値があるのだと。


ひとは誰でもウサギであり、カメである。


漫画「モンキーターン」では鮎川先輩が「ウサギは早い足を持っとるが忍耐力がない。カメは足は遅いが忍耐力がある。どっちもどっちってことや。」「実はウサギもカメも強さはいっしょで、ただそれぞれ異なる弱点を持っとる。それを克服した方が勝つっちゅう話じゃなかとかなあ?」と言う。


ウサギが油断せず全力で走ったとしても、ロケット推進のカメにはとても勝てない。ウサギがカメの戦略に対抗してロケット推進競争に巻き込まれたら、もはや足が速いことはなんの長所でもなくなってしまうのだ。
カメの甲羅はロケット推進にせよ、ターボ付き車輪装着にせよ、大砲発射にせよ、実にウサギに比べて利点が多い。
一生懸命がんばるだけではもはや足りない。
ウサギはさらに考えなければならない。


もちろん、「勝つ」ことが人生のすべてではない。
しかし、人は誰しも人生の果実を掴む権利がある。
ここで言う「勝つ」はその果実のほんの一例にすぎない。


より良い人生、何の因果か恐ろしく積み重なった偶然をつらね150億年を経てやっと生まれて、わずか100年足らずで死に行く運命の中で、納得のいく人生とは、「ここまでかと思った先にもさらに予想以上の先がある」のを、何度も何度も目の当たりにし、繰り返し体験することだろう。


ロケットを装着したカメは最後に何を見るのだろうか?