好意丸出しすっとぼけ

告る、という行為が嫌いだ。
格好つけて言うなら、告られるのも苦手だ。
(もちろんこちらが相手以上に好意を持っている場合は別)


そもそも、なぜ告らなければならないのか?


こんなことをよく耳にする。
「彼への想いがもう辛いです。勇気を出して告白して、ダメでも気持ちにけじめをつけたい」


こういう告白の行く先は、たいていアウト!でアウチ!ということになりがちだ。
そもそも、「想いがもう辛い」という事態に至ったということは、関係になんの進展もなく、また、今後もなさそう、ということがなんとなくわかってしまっているからだ。
告るという行為は、告る本人にとっては一大イベントだが、99人にとってはどうでもいいことで、残り一人にとっては迷惑でしかない。


募る想いに負けただけの惨めな自己満足だけの自滅行為にすぎない。自分で好きになり、自分で辛くなり、自分で耐えられなくなって告るだけ。そもそも、そういう状況に陥る人はまだ恋愛をする資格がない。


また、たまに告りが成功しても、こんな会話になる場合も多い。
「いま付き合っているひといますか?」
「え?別にいないけど?」
「よかったらつきあってくれませんか?」
「いいよ!」




この「いいよ!」には要注意である。




告った本人は有頂天で喜んでいるが、そもそも相手には好意がまるで伝わっていない。また、相手もさしたる好意はもっていない。たまたま、いま付き合ってるひとがいないので、付き合ってもいいよという程度なのだ。だから、数週間もすると
「付き合ってるんですが、彼の方からメールが来たことがありません」だの
「たまの休みに予定を聞いても友達と先約があると言われてしまいます」だの結局、
「彼の気持ちがわかりません」ということになりがち。


それは、わざわざ告って人間関係の序列の最下層に参加しただけなのだ。


告るという行為そのものもかなり異常だ。
友達になってくれと告ったりするだろうか?
もちろんしない。
わざわざそんなこと言わないし、言うことでどれだけ相手がびっくりするかは簡単に想像がつく。「こいつはわざわざ友達になってくれと頼まないと友達ができないほどの人間なのか」と思われるのが関の山だ。
恋人は友達以上の関係を求めるものだ。関係の緊張度も高い。
「友達になって!」と「恋人になって!」では異常度が違いすぎる。


もちろん、知り合って意気投合した相手に「友達になろうよ!」ということもあるし、「お願い!付き合って!」ということもあろう。しかし、そのとき相手はもはや断ったりしない状況であることを空気でわかって言うのである。


この空気がわからない人ほど、告って自滅のパターンが多い。


まぁそう焦るな、と言いたい。


自分を鍛える意味でも、自滅型思いつめ告り振られ連鎖はそろそろやめにしようと考えるなら、お勧めの方法がある。


それこそ「好意丸出しすっとぼけ」作戦である。


まず、告る以前に対象とはなにがしか人間関係があると仮定する。以前にそれすらない相手にはどうしたらいいか、という相談をえんえんされて辟易したのだが、人間関係もできていないならまず友達になれといっても、そんなきっかけがない程度の相手だったりして、そんなのにそんなに思いつめるなよと思いつつ、さすがに、とりあえず告って振られとけしか言えなかった。


話をもどす。なにがしか人間関係があるとすれば、その範囲内で許される好意はきちんと示せ、ということだ。
友達なら積極的に話しかけるとか、話題を合わせてやるとか、仕事なら手伝ったり、共感をしめしたりとか、ふつうにある姿で自然にだ。好意を示すという言葉にビビるなら、気楽に言えばこういうことだ。




相手の役に立て。




そもそも、相手の役にも立てない無能な人間が「愛して欲しい」と望むのは、とんでもない要求だ。少しは相手の役にたたなければ愛される資格などありはしない。


さて、そうやって好意を示しつつ、徐々にそれをエスカレートさせていく。これにあまり間合いを意識する必要はない。なんだか政略めいてそんな自制の自信がないとか思う必要もない。
要は簡単な話で、相手が喜べば自分もうれしいという範囲内で、ただ楽しめばいいのだ。だからもちろんやりすぎてへんな顔されたらベロ出して気持ち一歩下がればよい。
また、相手が自分にとって役に立つ行動をとったら、気持ちを込めて感謝する。人の役に立ったと思わせてあげるのも、一役である。


やがて、どうみても「好意まるだし」の状況になっていくだろう。それでもあくまで「すっとぼけ」なければならない。
どう考えても好意を持ってくれてそうな異性が、ずっとすっとぼけていて、もし自分も好意を持っていたら、必ず相手からなにがしかそれを確かめようとするサインを出してくるものだ。


だが、それにあっさり乗るか乗らないかは状況を見る必要がある。


「○○君。どうしてそんなにわたしに親切にしれくれるの?」
などと聞かれ、相手の気持ちがよくつかめずとりあえず時期が早すぎると感じたら
「はっはっは。それを聞くならおれを惚れさせてからにしろよ」
くらいに受け流しておく。


好意丸出しのやつの真意は誰でも知りたくなるもの。
ここまでくればもはや網にかかった獲物同然である。
告る、というのは、ここまでやってはじめて相手に感銘を受けさせることができるのだ、とか思うのだ。
(ただ単に一発で告り成功させられるほどのイケメンじゃないってだけで、ずいぶんえらそうな話になったもんだが)