公共の場所という幻想

わたしは公共の場所だから・・・という出だしのもっともらしい苦言が大嫌いだ。


子供が騒ぐと「公共の場所だから」
ヘッドフォンの音漏れで「公共の場所だから」
携帯電話で「公共の場所だから」
ちょっと汗臭いと「公共の場所だから」(これはちょっとヤダが)


公共の場所だから、ちょっとやそっとの騒音でがたがた言うなと言いたい。
公園だって公共の場所だし、国道だって公共の場所だ。


騒音レベルを言うなら、「知り合い同士が楽しく話している音量」を基準にしてそれよりうるさいなら文句を言うべきだ。


携帯電話やヘッドフォンの音漏れがそれほどうるさいはずがない。


新幹線も、デニーズでさえ「携帯電話はご遠慮ください」ときやがるが、隣のサラリーマンが2時間以上も「それでぶっこんだんすよ」「いけると思ったらぶっこむしかねぇよ」「ぶっこみで?」「ぶっこみよ」という話を繰り返すのとどっちが迷惑か考えてみればわかる。(これだってわたしはいいと思う)


公共の場所なんだから人と人が話をするのはあたりまえだし、公共の場所なんだから赤ん坊が泣き出すのもあたりまえなんだと思う。


電車でも飛行機でも、がやがやと人が話し、音楽が聞こえ、子供が笑う場所であってなぜいけないのか?


公共の場所で静かにしていなくちゃいけないのは病院だけでいいのじゃないか?あとサウナのレストコーナーか。


やたらと気を遣う公共の場所などいらない。
誰かを排除するような公共の場所などいらない。
人をリラックスさせない空気の中では、譲り合いや思いやりなど気軽に発動できるはずもない。


公共の場所は気楽で楽しい場所でなくちゃもったいない、と思うのだ。