◎散逸構造論的せいかつ

エントロピーの法則だけが宇宙を支配しているなら、ここは混沌と無秩序がただまんべんなく広がる素粒子のスープであるはずで、GWにわたしが子供たちをつれて潮干狩りなどして、みんな寝てしまった帰り道たった一人起きて自動車を運転して高速道路を走る、などということが起こるはずもないのだが。


などということを考えながら順調に走っていたのもつかの間。


東名高速道路は○○から○○まで15kの渋滞」


などというラジオ放送でイヤーな予感は的中の予感。


徐々に前方の車同士の車間距離が短くなりはじめるのであった。



わたしは自動車を運転する1人のドライバーで、東名高速道路を走る他の車とは一切無関係である。ここで出会ったのなにかの縁、ひとつみんなで渋滞でも作ってみよう、と思っているわけでもない。
わたしはただ、「速度にあわせた適切な車間距離をとる」ことと「可能な限りスピードを出す」ことだけを眠気で麻痺しかけた頭脳で考えながら車をコントロールする。




すると、突然、前方の車のテールライトが点灯し、みるみる車間距離が詰まってくる。そこで、わたしもやむを得ずブレーキを踏む。そのとき、わたし、を含む東名高速道路の片道2車線を走る車が、渋滞という構造を生む瞬間に遭遇したのであった。
まさに、原子が分子を構成し、分子がヒトを構成するように、わたしの車は「渋滞」というアッパーレベルの構造単位の構成に加わったのだ。このような、要素→構造の階層というのは、以前の日記でも触れている通り、わたしの日常的な興味の対象である。そして、それがまさに体現できるチャンスに恵まれたわけである。




このとき、車は「下り」方向へ(まがりなりにも)走っているにも関わらず、渋滞は「上り」方向へかなりのスピードで移動していくことも観察できた。構成要素の運動方向と、アッパーレベルの構造物の運動方向は無関係であり得るのだ。
例えば水道の水を徐々に絞っていき、まさに水滴になるかならないかの狭間の状態のとき、水の流れに指を差し入れると、指が入った影響(水流の微妙なうねりや水滴状態への変化)が水分子の流れの逆に「上に向かって」移動していくことが観察できる。(これは散逸構造論ではまさにゆらぎと言う)
まさにこれと同様のことが自分を構成要素として実際に目前で発生したのである。




われわれは個人でありながら、社会の構成要素でもある。
個別に好きなものを買いながら、マーケットを構成する。




時として、アッパーレベルの構造と構成要素は相互不認知の関係にあるように見られるが、例えばある程度の車の量があり、それがかろうじて流れている状態のとき、その流れの要素である一台の車が意図してブレーキを強く踏むと、間違いなく意図的に渋滞を引き起こすことができる。
その車の後ろの車は前の車よりわずかに余分にブレーキを踏むことで、ポジティブフィードバックが発生し、ブレーキ時間は後ろへ行くにしたがってどんどん長くなり、やがて完全に車の流れが滞る。すると、それを嫌って車線移動が発生し、隣の車線でも渋滞が発生し、さらなるポジティブフィードバックとなって高速道路の片側が完全に麻痺し、しかもそれは地理学レベルにまで成長してどんどんと長くなる。車の長さがたかだか数mなのに比べて数万倍の渋滞が発生する。やがて、テレビやラジオでそれが放送されるほどにそれは成長する。




いわゆる社会の立役者やマーケットに大流行を生み出す仕掛け人が伝説的に取り上げられたりするが、実際のところ、彼らは最初のブレーキを踏んだだけに過ぎないのだ。
ヒットラーのような独裁者にせよ、マイクロソフトのようなブームメーカーにせよ、その背景には必ずポジティブフィードバックを成立させる密度のゆらぎが必要だし、次々とヒットを飛ばすにはそれを感知するゆらぎアンテナが必要なのだ。




いわゆる「クチコミ」がヒットの最大の武器というマーケット理論は数多くあるが、クチコミが2〜3人で途切れないためには、そこに適度な「ゆらぎ」が必要だ。そしてそれは順調に流れているように見える高速道路でも、運転しているドライバーには簡単にわかるような車間距離の減少のように「見るつもりもないがその場にいればはっきりと見える」のである。
マーケット理論ではこれを「ニーズ」ということが多いが、実際にはニーズとはニュアンスが大きく違う。「熱気」や「ムード」と言った方が近いだろう。そういうムードが高まったとき、誰かが強くブレーキを踏むと、連鎖的にそれが広がっていくのだ。
例えば、プリクラの大ヒットの直前、企画者はファンシーショップで「かわいいシール」の売り上げが徐々に増えてきていることを知っていたのである。
そして、それらが街ゆく女子高生のカバンやシステム手帳や携帯(やポケベル)に貼られているのを実際に見たのである。
このとき、もしもプリクラがそこに加われば、プリクラを貼ったカバンやシステム手帳や携帯がさらに街の風景に加わり、それが更に流行を後押ししていくことはもはや必然であっただろう。
そこに「ニューキャラクターのシール」ではなく「顔写真のシール」を投入したことはまさに天才のひらめきだったかも知れないし、ただ単に偶然だったのかも知れない。ニューキャラクターのシール(たれパンダやサザエボンなど)は続々と製造されていたが、記録的大ヒットをしたのはプリクラであった。




アメリカ大統領が再選を睨んで過剰に演出した戦争がみるみるしぼんでしまったのも、政府のマーケット操作がなかなか実を結ばないのも、このような「ゆらぎ」の後押しによるポジティブフィードバックを無視したり、希望的観測で過大評価したからである。


適切なゆらぎと意図したきっかけ、そしてそれが増幅するポジティブフィードバックの原理。これを意識し、一攫千金を手にする。これぞまさに散逸構造論的せいかつ。