傘がキライ

わたしは雨が好きだ。
雨の中を歩くのが好きだ。


わたしは傘がキライだ。
特に傘を所有することがキライだ。


というわけで、今日も傘ナシで出勤。


移動はほとんど車なので問題なし。
仕事帰りに最近プレッシャーの多い店長を誘って飲みに行ったのだが、こういうときはちょっと困る。
いつもなら、雨の中を平気で濡れて歩くのだが、店長は(こいつもわたしが傘ナシでふらふら歩いて行くので車から傘を出さずに出てきてしまったのだが)上着を頭からかぶって小走り。
仕方なくわたしも小走り。


一日中雨の降っている日に、傘ナシで小走りのオヤジ二人。
バカ丸出し。


そもそも、わたしには傘がキライになる決定的な理由がある。
高校生のころ、午後から降り出したときなど学校帰りに傘があるヤツとないヤツでは「バカ」と「りこう」がくっきり分かれる。
小学校のころから「忘れ物名人」と必ず担任にあだ名をつけられたわたしは、傘を持ってきたためしがなかった。
それでも高校生程度の頭脳をもってして、この「バカ」「りこう」に分かれるさまに気づいて、不承不承で傘を買ったのだが、それがバッタものだったために数歩歩くだけでバサッと閉まる粗悪品だった。


そのうちあんまりバサバサ下りてくるのでそこらに生えていた草を止め輪に突っ込んで固定してやった。これで安心。
そう思って数歩歩いたとたん、バシャーッ。車道からの強烈な水ハネをまともに受けて全身ずぶぬれになってしまったのだ。顔にも口の中にまで水が入って、まさに「今、川から上がって来ました」くらいに濡れてしまったのだ。
ずぶぬれのまま、草が逆さに生えている珍妙な傘を持って数歩歩いたとき、そのあまりの「バカ」な姿の自分に、ついにわたしは心底頭にきて、道端に傘を捨てそのまま濡れて帰ったのだ。
これほどの文明を築き上げた人類が、傘という前近代的雨具を未だに使い続けているのは絶対におかしい。
晴れた日には役にたたないし、すぐ壊れるし、ちゃんとさしていても、雨だれが肩に掛かるし、せっかく用意していても結局ズボンは汚れるし、こんな不完全なものはない、と、気がついたのだ。こんなもののあるなしで「バカ」と「りこう」に分けられてたまるか。こんなバカなもの持ってるやつがバカだと結論した。


わたしの車には傘が常備してあるが、それは傘のない同乗者のためと、同乗者が傘を持っていると傘のないわたしにわざわざさしかけてくるのだ。これがまたうっとうしい上に、結局肩だけ雨だれでズブズブに濡れてしまう。


そんなある日、雨に濡れながらタクシー乗り場でタクシーを待っていると、突然雨がやんでしまった。あれ?と振り返ると、後ろに立ってタクシーを待っていた美人のお姉さんが、後ろからわたしを傘に入れてくれたのだった。それでひとことふたこと言葉を交わしたのだが、もう20年もたつのにそんなことを覚えている。傘嫌いのわたしが、一生のうちであの時だけは「傘っていいなー」と心から思った。ただし、傘がいいなーと思ったのは生涯かけてその一度である。


日ごろ傘に頼って生活している人はわからないだろうが、雨の水が多少服にかかっても5分程度はまったく問題ない。
多少雨に濡れても、20分で乾いてしまう。
30分雨に濡れて歩いても下着まで浸食してくるのは相当な豪雨のときだけで、そんなときは傘をさしてもたいていは靴やズボンはどうせドロドロである。どうせ上下あわせてクリーニングするならいっそ濡れてしまってもなんら問題ない。
また、日ごろカバンに折りたたみ傘など常備している人にはわからないだろうが、ほとんどの季節で「雨に濡れることは気持ちがいい」。


そんな確信を日増しに強くするある日、某タカヨシからこんな話を聞いた。タカヨシの祖父は鹿児島の人で薩摩隼人を自任する男の中の男だった(らしい)。あるときタカヨシが祖父のいる父だか母だかの実家に遊びに行って、祖父と外を歩いていると突然相当な勢いでにわか雨が降り始めた。タカヨシはあわてて走り出したが、後ろから声がする。
「タカヨシ、タカヨシ」
見ると祖父が悠々と歩きながら呼んでいる。
雨に濡れながらタカヨシはわざわざ祖父のところまで戻るしかなかった。すると、祖父が言った。


「雨ごときで男が走ったらいかんたい」


雨ごとき。
男がどんなものか、男が走るべきときはどんなときか(やっぱり国事?)祖父の言外の意図はピンとこなかったが、「雨ごとき」という言葉はわたしに強くヒットした。
雨の中で傘を差そうとせず悠然と歩くわたしに、祖父を思い出したとタカヨシは言ったのである。


ただ、タカヨシの祖父の残念なところは、雨が嫌なものという認識を捨てきれていないところだ。嫌だからこそ、雨ごときで走らず(嫌なことでも)男は耐えて歩け、というのは傘ギライが高じて雨が好きになってしまったわたしには、まだまだ世間を知らないコドモだなという感はぬぐえなかったのだ。


そんなある日、わたしが雨の中濡れながら家に入ってくるのを見て、母はこう言った。
「あんた、ただでさえ貧相なんだから、あんたが濡れてトボトボ歩いてるのを見るとあたしゃ濡れねずみって言葉をいつも思い出すよ」


それ以来、わたしは雨の日は胸をはって堂々と歩くように心がけるようになった。顔にもろに雨が降りかかるようにわざわざ空を見上げたりもする。
500円程度のビニール傘を一生の間に100本くらい買って、買ったそばからどこかに忘れ、それでも雨を見るたび疑問も持たずに傘を買い、あまつさえ近場に傘を売っていないと雨の中を走りまわって傘を売っている店を探す人にはわからないだろうが、顔にかかる雨は格別に気持ちがいいのだ。