原因と結果

例えば、株を予想するとき
会社のファンダメンタル
前日までのテクニカルチャート
日経やTOPIXの地合
金利動向
証券動向
ナスダックやダウ工業平均株価
原油価格
政情
などいろいろな判断材料がある。


しかし、答えは上げるか下げるかの二つしかない。


例えば、会社のファンダメンタルを重視して予想して仮に外れたとしよう。
その場合、他の判断基準に変更するべきなのか、組み合わせでいくべきなのか、悩みはつきない。


ところが、逆に正解してしまった場合はどうだろうか?
ほとんどの人が、次も同じ方法で予測を立ててしまうだろう。


実は、そのほかの方法を使ったとしても、正解する可能性は50%あるのだとしたら?


人は原因と結果を実に安易に結び付けてしまう。


原因があって結果がある、という簡単な図式でものごとを考え、それは常に正しいと考えてしまう。
実は、的外れな原因をもって結果を予想しても、答えが「良かった」「悪かった」の2つしかなく、その結果が一定の確率でどちらかになる場合、たった一度の結果だけでは、予想方法が正しかったと証明することは絶対にできないのだ。
われわれが、原因から結果を予測できたと証明できるのは、「きちんと予測しないと100%負ける」勝負においてのみ、なのである。


結果が一定の確率になる場合においては、その一定の確率に対して自分の予測的中率が常にそれを上回る、という結果においてのみ、予想が正しかったかどうかを判断できるのだ。勝負する相手は、良かった、悪かった、の結果ではなく、予想せず放置した場合の勝率である。これにはきちんと予想しないと勝てないので、勝った場合は予想が正しかったことになる。もちろん、結果の確率が正確にわからない勝負の場合は、予想方法が正しかったかどうかは、絶対に究明できない。そして、人の世で結果の確率が正確にわかっているようなことはほとんどなく、あったとしたら「生まれてくる子供の男女の別」のようなことだけになる。


例えば、恋愛において告白する場面を想定してみよう。
これは「きちんと予想しないと100%負ける」勝負ではない。
てきとーに告白しても、相手の都合でOKとなる場合がいくらでもあるからだ。
したがって、原因から結果を予測したとしても、それが正しかったかどうかを証明する手段はないのだ。それにもかかわらず、なんらか原因が思いついたりして振られそうな気がしたとき振られれば、その原因をもとにした予想方法にひとは固執してしまう。
多くの人は告白において非常に無駄な時間をそれら曖昧な予測に費やし、悩み、勝手に絶望して、ただでさえいただけない雰囲気にさらに隠滅さを加えて、ほぼ絶望的な状況をさらに悪化させることに余念がない。
慎重に生きようとすればするほど機会に恵まれず、せっかく訪れたわずかな機会にも躊躇し踏み出せないジミ系の人生は、こんなスパイラルから抜け出せないのだ。


人の悩みの多くは、「きちんと予測しないと100%負ける」ことがら以外の部分に大量に浪費されていく。そして、疲弊し、絶望し、思考停止し、あげくの果てに「きちんと予想しないと100%負ける」勝負にまで予想ナシで突入してしまう。考えてみれば、これは恐ろしいことなのである。


そこで、これら無駄な思考努力を減らすために、人類が歴史の中で長い年月をかけて開発したものがある。


さすが人類である。
このような不可能な問題にまでちゃんと解決方法を見つけていたのだ。


それが、占いなのである。


占いという予想方法はふつう「きちんと予測しなければ100%負ける」勝負では使われない。なぜなら、占いを実行すれば100%勝つ勝負そのものがこの世に存在しないからである。
しかし、予想をしようがしまいが良くも悪くも結果が出てしまう類の、人生における大部分の勝負事において、原因と結果の果てしない究明作業をするよりは、実は占いにまかせて積極果敢に行動に出たほうが、機会が増加して結果的に「悩んでいるよりはるかに勝つ」ことができるのである。


占いが当たる当たらないを問題にしなくても、占いに頼っておけば人生で躊躇ばかりするよりも、はるかに多くの果実を捕れるという点で、占いは実に有益なのである。
もちろん、前段の株の予測に占いを使ってはいけない。株はINDEXの上昇率という逃れようのない判断基準が存在し、予想方法が正しいか間違っているかはすぐに結果が出てしまう類の勝負事だからである。