天国地獄は実在する

ダブルバインドというのは、一種の板挟み状況である。親子関係を例にとるならば、無意識的に子供を愛せず、敵意さえ抱いている母親が、表面的には腕を広げて抱きしめようとするのだが、それに一瞬戸惑う子供に対して「なぜ戸惑うのか、私を愛せないのか」というように、子供を責めるメッセージも同時に送る状況に代表される。子供にしてみれば、母親の言葉に素直に従って甘えるということが、ますます母親をわずらわせ、嫌われるという恐れを抱く一方で、母親の言葉に従わなければ、それを責められ嫌われるという恐れも抱く。つまり、子供はどちらの行動を選んでも母親に嫌われる状況に立たされることになる。ダブルバインドは、このような二重拘束を指しており、子供の精神や健康に大きなダメージを与えかねない。こういったダブルバインドは、人々の精神病や社会不適応を生み出すと考えられている。


母親を媒介にしたダブルバインドは子供の発育にとって非常に深刻だ。

しかし、この世にはもっと恐ろしいものがある。

それは、自分が自分に仕掛けた自縄自縛のバインドである。

もっとも欲するものをもっとも恐れる。
いっそ無視すればいいことがわかっていてもなお更こだわる。


やがて、それは自分の精神や人生までも傷つける。


比喩でもなんでもなく、天国と地獄は自らの因縁によって現世に出現する。
そして、多くの人は地獄に堕ち、一生を苦しみながら死んでいく。


どうやったら自縄自縛のワナから逃れることができるだろうか?


自分を縛るもののどちらかを選択し、どちらかを捨てることしかないのだが、それは簡単にできるだろうか?


そこでこだわっていることこそが、真の絶望なのだと自覚することだろうか?
すぐそこに、天国の門が開いていることに気がつくことだろうか?


なにやら壮絶な自分との戦い、しかも勝ち目のないさそうな戦いの図式が垣間見える。
そもそも死んだらそれで終わり他になんの価値も意味もない人生で、こんな苦労性な考え方しているだけでこれも一つの地獄である。


ものぐさなわたしはこういう大英断を信じない。(信じる人はそれでかまわないが)
そして、ものぐさにはものぐさなりの天国への裏口を探し出せばいいと思う。


その方法は、「地獄に堕ちた自分のこだわり」などなんの価値もないと見切りをつけることだ。そもそも人生にこだわるほどの意味などないのだから。
たったそれだけ。


下手に「自分のこれはいいと思うが、これはダメ」などと自分の生き方をファインチューニングなどしようと考えない方がいい。それでなんとかなるなら、とっくになんとかなっている。


土壇場に来て「あ、これは絶対ダメだな」という瞬間が誰にでもある。
これを言ったらお仕舞いだ。これをやったらますます事態が悪くなる。
という状況で、理性的には十分わかっていることなのに、意味もなく後に引けなくなり最悪の一手を指してしまう。


このくだらないクセをやめろ、ということだ。
そうやって行動することにも、その意志にも、そんな人生にも、最初からこだわるほどの意味などないのだから。